和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

わたしは海の子です。

2022-08-03 | 詩歌
小学校の頃の、修学旅行は箱根でした。
6年生は2クラスあって、合同で講堂で説明をうけた。
そのなかで、唱歌「箱根八里」の歌詞の説明があった。

   第一章 昔の箱根

 箱根の山は 天下の険 函谷関も物ならず
 万丈の山 千仞の谷 前に聳え後(しりえ)に支(さそ)う
       雲は山をめぐり
       霧は谷をとざす
  ・・・・・・・


わからないながらも、歌詞にはこんな意味があるのだと、
字面だけを、パクパクと追っていたものには驚きでした。

安野光雅さんの文に、こんなはじまりがありました。

「 わたしが子どもだった昭和初期の時代には
  まだ文語文の世界がありました。

  学校で習う唱歌の『我は海の子』などはいい例です。
 『函谷関(かんこくかん)もものならず、
  万丈(ばんじょう)の山、千仞(せんじん)の谷』と歌う、
 『箱根の山』もそうで、函谷関を見たこともなく、
  また万丈の山という言葉の意味もわからぬのに、
  文語文の描き出す世界は、理屈抜きで心に響くものがありました。

  そのむかし、文字に書き残して、
  何ごとかを人につたえようとする文章は
  文学に限らず日常の手紙も算数の文章題も、
  張り紙の文句も、およそみな文語文でした。

  以前、山梨県に向かう小仏峠を行ったとき、
 『曲折多し、谷深し』と書いた交通標語がありました。
  これも文語文の余韻があるためか、いまだに覚えています。」

 
ちなみに、安野光雅さんは、1926年島根県津和野町生まれ。
引用を続けます。

「・・・わたしたちの世代は、その両方にまたがっているためか、
 文語文の持つ、荘重、簡潔、明快、覇気、といった
 一種の雰囲気の快感が忘れられないでいるのです。

 『我は海の子』という言い方を、口語文に直訳すると、
 『わたしは海の子です』ということになってしまいます。

 『我は海の子』という言葉はどうしても、
 口語に直訳することはできないと思いますが、
 それでも歌っているうちに『苫屋(とまや)』という言葉も知らないのに
 『煙たなびく苫屋こそ、我が懐かしき住み家なれ』という
 章句が伝わってくるからふしぎです。・・・」

  ( p592~594 安野光雅「口語訳即興詩人」山川出版社 )

はい。ここは、唱歌「われは海の子」の3番までを引用したくなります。


     われは海の子

 一 我は海の子白浪の
       さわぐいそべの松原に、
     煙たなびくとまやこそ
        我がなつかしき住家なれ。

 二 生れてしおに浴(ゆあみ)して
       浪を子守の歌と聞き、
     千里寄せくる海の気を
        吸いてわらべとなりにけり。

 三 高く鼻つくいその香に
       不断の花のかおりあり。
     なぎさの松に吹く風を
        いみじき楽(がく)と我は聞く。

           ( P156 岩波文庫「日本唱歌集」 
             ちなみに、箱根八里はp80にありました。)
コメント (4)
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