今日の1月9日は成人式。そうカレンダーにあります。
今日寝床で、思い浮かんできたのは、
中学校の国語の先生大村はまでした。
昭和22年に義務教育として新制中学校が全国にできます。
その中学校に、大村はまは国語教師として赴任しました。
氏の講演(1970年8月)のなかにこんな箇所があります。
「 教師は専門家ですから、やっぱり生徒に力をつけなければだめです、
ほんとうの意味で。こうした世の中を行きぬく力が、優劣に応じて
それぞれつかなければならないと思います。・・・・
中学におりますと、
『 これで一人前の日本人として世の中を行きぬけるか 』
というのが、生徒を社会に送り出すときの私の気持ちです。
非常に悲痛な気持ちで送り出します。
『 これで、一人前の日本人として激動の中を生きていけるだろうか 』
と思います。
私は卒業式の時、若い時は別れるのが悲しくて泣きましたが、
今はこの人たちの生きていく世界が目に見えて、
かわいそうで泣けてしまいます。
『 どんな苦しみの中を越えて、
この人たちは生きていかなければならないか。
それにしては、いかにも力をつけなさすぎた 』
と思うのです。
生徒は高等学校へほとんどいきますが、
高等学校は別の世界です。義務教育でもないし、年齢も違っていますから、
中学校で与えられなかったものを、高等学校で与えられるものではありません。
・・・・
脳細胞の発達の方から勉強してみても、中学の2年から
3年の初めをもってもう頭脳のいちばん大切な開発は終わりです。
あとは鍛えることだけしかできないのです。
中学時代につかなかった癖は、永遠につかないと、
大脳生理学者の時実(ときざね)利彦博士もおっしゃっています。
ですから、この世を行きぬくだけの
良い癖をつけることができたかと思いながら、
みんなが一人ずつ卒業証書をもらいに出てくるのを見ていると、
心細さと、申しわけなさと、かわいそうなのと、それから
私の予期しなかったどんなことに出会うのかと思うと、
なにか胸がいっぱいになってしまいます。・・・・ 」
( 大村はま著「新編教えるということ」ちくま学芸文庫 p60~62 )
こういう中学校の頃のことって、
ボンヤリと、ちょうど成人式の頃から、
思い浮かんでいたような気がします。ある先生のこととか。
はい。二十歳ぐらいでは、ちっとも言葉にはならなかったけれど。