和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

私(大村はま)の好きな話。

2023-01-13 | 短文紹介
そういえば、と思い浮かべたのが『仏様の指』でした。
さて、どこにあったのか、大村はまの本をさがします。
そんなに何冊も、読んでいないので、みつかりました。

大村はま著「新編 教えるということ」(ちくま学芸文庫)p154~157
「教えることの復権」(ちくま新書) p150~151
「大村はま国語教室」第11巻(筑摩書房) p245~247

うん。私には、分からないなあと、思っていた箇所です。
では、引用。

全集の第11巻では、
「 私はかつて、八潮高校在職のころ・・ 」とあります。

文庫では、この箇所が、こうはじまっておりました。

「 終わりに、私の好きなお話をご紹介したいと思います。
  私はかつて、都立八潮高校(当時、府立第八高女)在職のころ  」

うん。ちょっとしたことなのですが、並べてみました。
後は、適宜引用してゆきます。

「 奥田正造(おくだしょうぞう)先生の毎週木曜の読書会に参加していました。・・ 
  先生は私が今日までお会いした先生の中で、いちばんこわい先生でした。 」

あるとき、先生と二人きりになってしまった。と続きます。

「私は、どうしてよいかわかりませんので、下を向いてもじもじしていますと、
 先生が一つのはなしをしてくださったのです。 」

うん。なんだか、古臭いような話なので引用を憚られるのですが、
ふいに、この箇所を引用してみたい気分になりました。
では、引用をつづけます。

「それは『仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、
 一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。

 そこはたいへんなぬかるみであった。
 車は、そのぬかるみにはまってしまって、
 男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。
 男は汗びっしょりになって苦しんでいる。
 いつまでたっても、どうしても車は抜けない。

 その時、仏様は、しばらく男のようすを見ていらっしゃいましたが、
 ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっと
 ぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった。 』

 という話です。

『 こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。
  男はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。
  自分が努力して、ついに引き得たという自信と喜びとで、
  その車を引いていったのだ。 』

 こういうふうにおっしゃいました。そして、

『 生徒に慕われているということは、たいへん結構なことだ。
  しかし、まあいいところ、二流か三流だな。 』

 と言って、私の顔を見て、にっこりなさいました。
 私は考えさせられました。

 日がたつにつれ、年がたつにつれて深い感動となりました。

 そうして、もしその仏様のお力によってその車が引きぬけたことを
 男が知ったら、男は仏様にひざまずいて感謝したでしょう。
 けれども、それでは男の一人で生きていく力、生きぬく力は、
 何分の一かに減っただろうと思いました。

 お力によってそこを抜けることができたという喜びは
 ありますけれども、それも幸福な思いではありますけれど、

 生涯一人で生きていく時の自信に満ちた、真の強さ、
 それにはるかに及ばなかっただろうと思う時、

 私は先生のおっしゃった意味が深く深く考えられるのです。  」


大村はま先生の、授業を読みはじめると、
細部にわたって知るほどに、どうしても、
この話が何やかやと思い浮かんできます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする