そういえば、と思い浮かべたのが『仏様の指』でした。
さて、どこにあったのか、大村はまの本をさがします。
そんなに何冊も、読んでいないので、みつかりました。
大村はま著「新編 教えるということ」(ちくま学芸文庫)p154~157
「教えることの復権」(ちくま新書) p150~151
「大村はま国語教室」第11巻(筑摩書房) p245~247
うん。私には、分からないなあと、思っていた箇所です。
では、引用。
全集の第11巻では、
「 私はかつて、八潮高校在職のころ・・ 」とあります。
文庫では、この箇所が、こうはじまっておりました。
「 終わりに、私の好きなお話をご紹介したいと思います。
私はかつて、都立八潮高校(当時、府立第八高女)在職のころ 」
うん。ちょっとしたことなのですが、並べてみました。
後は、適宜引用してゆきます。
「 奥田正造(おくだしょうぞう)先生の毎週木曜の読書会に参加していました。・・
先生は私が今日までお会いした先生の中で、いちばんこわい先生でした。 」
あるとき、先生と二人きりになってしまった。と続きます。
「私は、どうしてよいかわかりませんので、下を向いてもじもじしていますと、
先生が一つのはなしをしてくださったのです。 」
うん。なんだか、古臭いような話なので引用を憚られるのですが、
ふいに、この箇所を引用してみたい気分になりました。
では、引用をつづけます。
「それは『仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、
一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。
そこはたいへんなぬかるみであった。
車は、そのぬかるみにはまってしまって、
男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。
男は汗びっしょりになって苦しんでいる。
いつまでたっても、どうしても車は抜けない。
その時、仏様は、しばらく男のようすを見ていらっしゃいましたが、
ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっと
ぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった。 』
という話です。
『 こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。
男はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。
自分が努力して、ついに引き得たという自信と喜びとで、
その車を引いていったのだ。 』
こういうふうにおっしゃいました。そして、
『 生徒に慕われているということは、たいへん結構なことだ。
しかし、まあいいところ、二流か三流だな。 』
と言って、私の顔を見て、にっこりなさいました。
私は考えさせられました。
日がたつにつれ、年がたつにつれて深い感動となりました。
そうして、もしその仏様のお力によってその車が引きぬけたことを
男が知ったら、男は仏様にひざまずいて感謝したでしょう。
けれども、それでは男の一人で生きていく力、生きぬく力は、
何分の一かに減っただろうと思いました。
お力によってそこを抜けることができたという喜びは
ありますけれども、それも幸福な思いではありますけれど、
生涯一人で生きていく時の自信に満ちた、真の強さ、
それにはるかに及ばなかっただろうと思う時、
私は先生のおっしゃった意味が深く深く考えられるのです。 」
大村はま先生の、授業を読みはじめると、
細部にわたって知るほどに、どうしても、
この話が何やかやと思い浮かんできます。