「大村はま国語教室」第4巻のはじまりに、
10箇条が並んでいます。気になったのが第5と第6。
その箇所を引用。
「 第五に、気軽に読み、根気よく読みつづける力、根気よく聞き入る力。
第六に、気軽に筆まめに書き、根気よくまとめあげる力。 」
はい。大村はま先生の国語教室を知らなかった私は、
今年の一年かけて、大村はまさんの本を開くことに。
思えば、気楽に読み、気楽に書きというのは身近でしたが、
『根気よく』を知らず人生をぼんやり過ごしておりました。
でもしょうがない、いままで『根気よく』してなかったし、
この根性は直せないだろうなあ。今からでも出来ることを
するしかないじゃない。と思うのでした。
え~と。ここから花の話。古本で買ってあった
堀宗凡著「茶花遊心」(マフィア・コーポレーション。1987年)を
本棚からとりだす。そのあとがきは、こうはじまりました。
「 老 西山氏は近くの茶店での偶然の出会いの人である。
彼の手持ちのモノクロのネガはちょうどこの茶花遊心
をとるだけ残っていた。
何もない茶室で彼は『 茶花をいけなさい、私がうつします 』
といい出した。且て雑誌『主婦の友』のいけ花専門のカメラマン
であったから、その後一年、彼とは活花をおいて
『 イエス、ノー 』の外にはいつも何も語っていない。
かくとり終って三月後他界された。すべては
彼の胸中に秘められた人生仕上げであった。・・・ 」
はい。この本は、1ページごとに茶花の写真があり、
堀氏の文があるのでした。ふられたページ数は397ページ。
うん。185ページには『野趣』とある。文はこうはじまります。
「 淡々斎は茶花を活けるには習った花はうまくないと、言われた。
自分は教えられるまま何流も習わず終ってしまった。
花は野にある如くと利休はいった。
露もつ如くばらり、はらり、ほろほろ ・・・・・ 」
ちなみにこのページの茶花の写真の左には説明がありました。
「 花 / とりあし升麻、紅忍冬、木槿、操の木
器 / 唐物蝉籠 山水のれん 」
はい。堀氏の茶花の写真を見て、引用した文をうつしていると、
最初の大村はまさんの十箇条のはじまりが思い浮かぶのでした。
「 第一に、型にはまらない、のびのびとした態度を育てることである。
思うぞんぶん、ぐんぐんと個性を発揮する力をつけ、
独創的な個性的な表現を心がけ、また、それを
味わったり喜んだりするような力をつけることである。 」