和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

恩師の年賀葉書。

2023-01-10 | 地域
うん。私にも中学校で忘れられない先生がいました。
国語の先生で、杉村先生といいました。

もう20年以上前に、子供の中学校の広報誌に
載せたいからと自由題で、急きょピンチヒッターとして
注文がきました。その際の文がとってありました。

たまには、そんなのから引用させてください。

「・・私の忘れがたい恩師は、○○中の先生でした。
『夕鶴』などを教えてくださった国語の杉村〇〇先生。

廊下をペタペタと底の堅い教員用のつっかけで、
音をたてて歩く先生でした。

ボンクラな私は、国語の授業とは、このようなものだろうと、
うかつにも思いこんでいました。ところが、
高校で国語をうけてもつまらない。
何でほかの先生はこんなにつまらないんだろう、と思っておりました。

杉村先生の国語の魅力に気づくのに、自分なりにまわり道をして
時間がかかりました。

さて、現在の話です。3年前偶然に杉村先生の奥さんと話す機会にめぐまれました。
杉村先生は昭和49年に42歳で亡くなっておられます。
奥さんの三恵子先生は、もう退職まじかで〇〇小学校の校長先生でした。

その当時の文章を読ませてほしいとお願いしておいて、取りにうかがうと、
風呂敷に包んでありました。お線香の匂いがしました。
三恵子先生は、亡くなってから、その資料を仏壇の下に包んで置かれ。
忙しさも手伝って、いまだに落ち着いて触れる気にならないとお聞きしました。

その資料からひとつ引用させていただきます。
それは、亡くなる前年に同僚にあてた年賀葉書の文面です。
『教室で』とあります。

 『 生徒たちは活字と格闘し
   むんむんと新しい世界に飛躍します。
    ・・・・・・
   なに?なぜ?とどん欲な生徒の息吹が
   無限に教室と私の心に流れます。

   人間のために学ぼう
   人間の心を大切にしよう。
   心あることばでいつまで語ろうと思います。
   母国語の心のことばで
   それを大切にしようと思います。   』

この年賀葉書の文面は、奥さんも知らずに。
たまたま、宛名不明で戻ってきたので読むことができたそうです。
杉村先生らしい偶然だと思い。そういうこぼれでたような
偶然に感謝して読ませていただきました。  」


ちなみに、この文は、最初の依頼の字数に合わせて書いたのですが、
広報委員の方からあとで、収まりきらないので半分にしてほしいと、
依頼され、この文を半分に削って掲載されました。掲載文は、
自分でも何をいっているのやら、わからない文になっておりました。
はい。20年以上すぎてから、この文をブログに引用するなんて、
思ってもみないことでした(笑)。

はい。私の大村はま先生への興味は、
どうやら杉村先生という下地があり、
自然と繋がっているのだと思います。


コメント (2)
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