平凡社ライブラリーの渡辺京二著「逝きし世の面影」。
その最後の解説を、平川祐弘氏が書いておりました。
はじまりを引用。
「 『逝きし世の面影』という情緒豊かな標題の本書は、
我が国が西洋化し近代化することによって失った
明治末年以前の文明の姿を追い求めたものである。
著者はおびただしい幕末・明治年間の来日外国人の
記録を博捜・精査することによって、それをこの分厚い一冊にまとめた。
・・・著者の、イデオロギーや先入主にとらわれない、率直な反応が、
美しい日本語に表現されていて、本書を価値あるものとした。
共感は批評におとらず理解の良き方法であることを本書は実証している。」
はい。これが解説のはじまり、4頁なので私にもすぐ読めます。
うん。ここには、平川解説の最後の3行も引用しておくことに。
「 明治日本の生活様式は多面的である。それでいて
多くの外国人の目がおのずと集中する点がある。
そこに旧文明の面影は宿る。その過去は
私たちの心性の中で死に絶えてはいない。
かすかに囁き続けるものがあるからこそ、
逝きし日の面影は懐かしいのである。 」( p591~594 )
ちなみに、葦書房より刊行されたのが1998年。
平凡社ライブラリーで刊行されたのが2005年。
この文庫を、古本で安く手にした版は2010年( 初版第21刷 )。
それはそうと、月刊Hanada2023年3月号に、
三浦小太郎氏の「追悼・渡辺京二」があり題は、
「伝え続けた小さきものの声」( p310~319 )。
こちらも、さらりと引用しておきます。
「昨年12月25日、思想史家渡辺京二が92歳の生涯を終えた。
私は訃報を知ると、すぐに『小さきものの死』(1975年)を読み返した。」
こうはじまっておりました。私では
手には負えない重要なテーマなので、
最後にここだけ引用しておわります。
「渡辺京二の名が一般的に知られるようになったのは、
1998年に出版された『逝きし世の面影』(葦書房)であろう。
幕末・明治初頭の日本を訪れた外国人の記録を通じて、
江戸時代を近代によって滅ぼされた美しい文明社会と
して総合的に分析した本作は、現在でも多くの読者を
引き付けている。
この著名な作品については、私はあえてあまり触れずにおく。
本書を手に取っていただければ、そこから立ち上ってくる
前近代の日本の姿に、読者は目を見張る思いがすることだろう。」(p318)
あとは読むだけなんだけれど、
読まずにこうして書いている。
はい。これがふだんの私です。