学校の図書室は、いまはどうなっているのでしょう?
昭和35年に大村はまは、石川台中学校に転任します。
そこで、図書室の蔵書を見ている箇所がありました。
何だか気になる箇所なのでした。引用しておきます。
「昭和35年の4月、私は東京都大田区の石川台中学校に転任した。
さっそく図書室に行って、蔵書と対面した。
端から端までゆっくり背文字を見ていたが、そのとき、
思わず手を出した本があった。『日本つづり方作文全集』である。
創元社から出ていた、旧版の赤い表紙の本であった。
見ていくと、子どもたちの生活の変化、子どもを取りまく社会の変化、
もっと細かく、子どもたちの学んでいること、教訓されていること、
けんかのたね、また、子どもたちの楽しみにしていること、
幸せと考えることの内容の変化、教科の名前、学用品のいろいろ、
―――とにかく、私はおもしろくてたまらなかった。
その後、図書室にくる子どもたちをつかまえては、
その本を引き出して、私のおもしろい発見を披露した。
国語の時間にも、『 この本、読みませんか 』の時間と称して、
はんぱに残った時間などに、いろいろの本を紹介したが、
そんなときもよくこの赤い本を取り出して、少し前の時代の
学校のようす、お手伝いのようすなど読み聞かせた。
そういうとき、子どもたちは、いつもおもしろそうであった。
これを読書教材に、と思うと、私は胸のときめきを感じた。 」
( p241 「大村はま国語教室」筑摩書房 第4巻 )
これは、昭和49年9月 石川台中学校三年生によって
単元学習『 明治・大正・昭和の作文の歩み 』として結実しておりました。
全集には、単元の個人発表の箇所が付されてます。
三年A組 太田久美子さんの、最後の箇所も引用。
「明治の文体には、文語体が多く、そのため、ひきしまった感じを受ける。
・・・・・
昭和にはいると、ほとんどが口語体になり、敬語文も非常に多くなってきた。
昭和戦前は、大正時代の延長のようで、表現に大きな変化がないが、
戦後になると、急にやわらかい、親しみやすい表現になってきている。
そして、文末の表現の種類がふえて、変化に富んだのびのびした文章である。
また、明治時代にはあまり見られなかったあいまいな表現、
二重否定なども多くなっている。自分の意志や、推量、感動が
特にたくさん文末に使われている。
感動・断定の表現には、各時代の特色があり、
その表現の移り変わりが大きい。・・・・ 」
また『 あとがき から 』も、ひとり(北村美弥)紹介することに。
「作文を書くのは苦手だけれど、
誰かが書いたものを読んだりすることはとても楽しいので私は好きです。
それを書いた人の考えや、その時の情景が私にも少しわかってくるような
気がするからです。
そんな訳で、今度の研究は、大へん興味がひかれました。・・・・ 」
( p289~290 )
はい。このGOOブログでの皆さんの文を読ませていただいていると、
これからは、中学三年生の北村美弥さんの言葉が浮ぶのだろうなあ。
『 誰かが書いたものを読んだりすることはとても楽しいので私は好きです 』