和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

そらええなあ。そのときはぼく。

2023-01-25 | 他生の縁
「知的生産の技術」に、登場するキツネ。
ということをとりあげてみます。

まずは、『知的生産の技術』から、この箇所。

「ある作家の作品のなかに、只棹埋男(たださおうめお)翁という
 老学者がでてきて、おどろいたことがある。その老人は、

 しめきりがきても文章ができあがらないので、
 たいへんくるしむのだが、夜中になると、
 とつぜんにキツネがやってきて、とりつく、
 すると、たちまちにして文章ができあがる、というのである。

 じっさい、くるしまぎれに、キツネつきみたいな状態になって、
 無我夢中でかきあげてしまうことがおおい。・・・ 」( p199 )


はい。どのような状態なのだろうなあ、と思っていた、わたしに
思い浮かんできたのは、大村はまさんの『仏様の指』の話でした。
あらためて、とりだしてみます。

『 仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、
  一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。

  そこはたいへんなぬかるみであった。
  車は、そのぬかるみにはまってしまって、
  男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。

  男は汗びっしょりになって苦しんでいる。
  いつまでたっても、どうしても車は抜けない。

  その時、仏様はしばらく男のようすを見ていらしたが、
  ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、

  車はすっとぬかるみから抜けて、からからと
  男はひいていってしまった。  』      

  ( p156 大村はま著「新編教えるということ」ちくま学芸文庫 )


この『仏様の指』のお話と、
キツネつきを語る梅棹忠夫。

藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」(講談社・1984年)。
その第三章「知的生産の奥義」に、具体的な場面が散りばめられてました。

そこを飛び飛びに引用してみることに。

「 新しいシステムを採用することと、
  原稿の生産性があがることとは、別の問題である。

  ・・・『遅筆の梅棹さん』の評判は、わたしなどが
  くる前から、知る人ぞ知る、有名な事実だったのである。

  先生が原稿を執筆されるのは、自宅の書斎である。
  だから、わたしは、執筆中の先生の姿を見たことはない。

  ただ、たいへん苦しい思いをなさるらしいことは、
  しめきりのぎりぎりのところにくると、
  よく脈が結滞して医者にかかられることからも、察せられた。 」(p238)


うん。こういう具体例が多い第三章なので、続けます。

「予定どおり原稿ができなくて四苦八苦しているとき、先生はよく

 『 原稿というもんはキツネがついてくれないとできんもんでな 』

 といわれる。

  『 そんなバカなこと、ウソでしょ。
    しめきりにまにあわないことを、
    キツネのせいにするなんてずるい  』

 たのまれた原稿なんてかいたことのないわたしは
 先生の言い分を否定した。それでも先生は、

 『 いや、やっぱりキツネがつくのやで。
   原稿用紙を前に、うんうんうなったって、かけんときはかけん。

   それがあるとき突然かわる。いままで苦しんでいたのが
   ウソみたいに、文章がでけてくる。かけだしたら早い。・・・

   どこでどうなってそうなるのか、自分でもわからんけど、
   とにかくできるときはすっとでけてしまう。
  
   不思議というか、なんというか、これは
   キツネがついたとしかいいようがないなあ 』

  まじめな先生が、ほんとにまじめな顔をしてキツネ説を主張される。 」

        ( p224 藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」 )

うん。ここはさらに、つづけていきます。

「 めったにないことだが、いろいろと悪条件が重なると、
  先生はきょうのようなむずかしい顔つきになる。

  たいていは、原稿の執筆が思うようにすすまない、
  疲れがたまって体の調子が悪くなる、
  
  前の仕事がすまないうちにあとの約束が追いかけてきて
  二進(にっち)も三進(さっち)もいかなくなる・・・と、
  こんな悪循環がかさなってしまったときである。

  原因は、すべて自分にあるのだからどうしようもない。
  短気な人なら、まわりの者にあたりちらすところだが、
  自制心の強い先生は、内にぎゅっとおさえて、
  この窮地を脱出すべく、苦しみに耐えている。・・・・  」


これは、あの場面でしょうか?

 「 ・・・・そこはたいへんなぬかるみであった。
   車は、そのぬかるみにはまってしまって、
   男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。
   男は汗びっしょりになって苦しんでいる。

   いつまでたっても、どうしても車は抜けない。・・・  」


はい。最後に、こちらも引用して終わります。

「 はいってきたのは、小松左京さんだった。
  今夜の集まりのメンバーのひとりである小松さんは、
  ロンドの会員でもあり、京都で仕事があるときは、
  ちょくちょく研究室をのぞかれる。きょうも少し早目に
  きて、先生をさそって会場へいくおつもりらしい。・・・・

  小松さんがはいられると、声は一段と高くなり、
  にぎやかになった。いつのまにか、梅棹先生の
  原稿ができあがらないことが、みなさんに知れてしまった。小松さんが、

 『 いっぺん、みんなでシンポジウムせないかんなあ。
  【 「知的生産の技術について」の筆者に原稿をかかせるキツネについて 】
      といテーマはどうやろ』といいだした。

 『 そらええなあ。そのときはぼく、一番前にいてきかしてもらいます 』と先生。     
     ・・・・・・    」
             ( p231 第三章「知的生産の奥義」 )




 




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