「知的生産の技術」に、登場するキツネ。
ということをとりあげてみます。
まずは、『知的生産の技術』から、この箇所。
「ある作家の作品のなかに、只棹埋男(たださおうめお)翁という
老学者がでてきて、おどろいたことがある。その老人は、
しめきりがきても文章ができあがらないので、
たいへんくるしむのだが、夜中になると、
とつぜんにキツネがやってきて、とりつく、
すると、たちまちにして文章ができあがる、というのである。
じっさい、くるしまぎれに、キツネつきみたいな状態になって、
無我夢中でかきあげてしまうことがおおい。・・・ 」( p199 )
はい。どのような状態なのだろうなあ、と思っていた、わたしに
思い浮かんできたのは、大村はまさんの『仏様の指』の話でした。
あらためて、とりだしてみます。
『 仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、
一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。
そこはたいへんなぬかるみであった。
車は、そのぬかるみにはまってしまって、
男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。
男は汗びっしょりになって苦しんでいる。
いつまでたっても、どうしても車は抜けない。
その時、仏様はしばらく男のようすを見ていらしたが、
ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、
車はすっとぬかるみから抜けて、からからと
男はひいていってしまった。 』
( p156 大村はま著「新編教えるということ」ちくま学芸文庫 )
この『仏様の指』のお話と、
キツネつきを語る梅棹忠夫。
藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」(講談社・1984年)。
その第三章「知的生産の奥義」に、具体的な場面が散りばめられてました。
そこを飛び飛びに引用してみることに。
「 新しいシステムを採用することと、
原稿の生産性があがることとは、別の問題である。
・・・『遅筆の梅棹さん』の評判は、わたしなどが
くる前から、知る人ぞ知る、有名な事実だったのである。
先生が原稿を執筆されるのは、自宅の書斎である。
だから、わたしは、執筆中の先生の姿を見たことはない。
ただ、たいへん苦しい思いをなさるらしいことは、
しめきりのぎりぎりのところにくると、
よく脈が結滞して医者にかかられることからも、察せられた。 」(p238)
うん。こういう具体例が多い第三章なので、続けます。
「予定どおり原稿ができなくて四苦八苦しているとき、先生はよく
『 原稿というもんはキツネがついてくれないとできんもんでな 』
といわれる。
『 そんなバカなこと、ウソでしょ。
しめきりにまにあわないことを、
キツネのせいにするなんてずるい 』
たのまれた原稿なんてかいたことのないわたしは
先生の言い分を否定した。それでも先生は、
『 いや、やっぱりキツネがつくのやで。
原稿用紙を前に、うんうんうなったって、かけんときはかけん。
それがあるとき突然かわる。いままで苦しんでいたのが
ウソみたいに、文章がでけてくる。かけだしたら早い。・・・
どこでどうなってそうなるのか、自分でもわからんけど、
とにかくできるときはすっとでけてしまう。
不思議というか、なんというか、これは
キツネがついたとしかいいようがないなあ 』
まじめな先生が、ほんとにまじめな顔をしてキツネ説を主張される。 」
( p224 藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」 )
うん。ここはさらに、つづけていきます。
「 めったにないことだが、いろいろと悪条件が重なると、
先生はきょうのようなむずかしい顔つきになる。
たいていは、原稿の執筆が思うようにすすまない、
疲れがたまって体の調子が悪くなる、
前の仕事がすまないうちにあとの約束が追いかけてきて
二進(にっち)も三進(さっち)もいかなくなる・・・と、
こんな悪循環がかさなってしまったときである。
原因は、すべて自分にあるのだからどうしようもない。
短気な人なら、まわりの者にあたりちらすところだが、
自制心の強い先生は、内にぎゅっとおさえて、
この窮地を脱出すべく、苦しみに耐えている。・・・・ 」
これは、あの場面でしょうか?
「 ・・・・そこはたいへんなぬかるみであった。
車は、そのぬかるみにはまってしまって、
男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。
男は汗びっしょりになって苦しんでいる。
いつまでたっても、どうしても車は抜けない。・・・ 」
はい。最後に、こちらも引用して終わります。
「 はいってきたのは、小松左京さんだった。
今夜の集まりのメンバーのひとりである小松さんは、
ロンドの会員でもあり、京都で仕事があるときは、
ちょくちょく研究室をのぞかれる。きょうも少し早目に
きて、先生をさそって会場へいくおつもりらしい。・・・・
小松さんがはいられると、声は一段と高くなり、
にぎやかになった。いつのまにか、梅棹先生の
原稿ができあがらないことが、みなさんに知れてしまった。小松さんが、
『 いっぺん、みんなでシンポジウムせないかんなあ。
【 「知的生産の技術について」の筆者に原稿をかかせるキツネについて 】
といテーマはどうやろ』といいだした。
『 そらええなあ。そのときはぼく、一番前にいてきかしてもらいます 』と先生。
・・・・・・ 」
( p231 第三章「知的生産の奥義」 )