「書き初め」と「百人一首」と続きましたので、
つぎは、「年賀はがき」かなあ。とはじめます。
「俳句用語の基礎知識」は、古本で200円でした。
うん。昭和59年初版で、カバーも、ページもきれい。
角川選書の一冊で、編者は村山古郷+山下一海。
あとがきのはじまりを引用しておくことに。
「『挨拶句・存問』から『わび・さび』まで、
本書におさめられた61項目の俳句用語は、
明治から昭和の現在に至る近代・現代俳句史の上に、
それぞれ花とひらき実を結び、あるいは美しく点じられた
燈し火のような事項ばかりであるといえよう。・・・ 」(p305)
はい。本文のはじまりは『挨拶句・存問(そんもん)』でした。
私などは、年賀はがきのことを思うと近頃このことが浮びます。
ということで、はじまりから引用しておくことに。
「・・『存問』は心に存して忘れず、安否を問い、
慰問するの意で挨拶とほぼ同義。
したがって挨拶句も存問もともに人間と人間との関係、
すなわち慶賀・弔意、またはある出来事についての感懐
の俳句であることはいうまでもないが、
その土地の風光・歴史など一切に対する親愛の情をも
含むといった広い意に解釈すべきであろう。 」(p7)
はい、これが定義として書かれておりました。
後に、続いて歴史として書かれているのは、
『三冊子』の中からの引用からですが、端折ります。
そのつぎに
「 山本健吉は
《 俳句は滑稽なり。俳句は挨拶なり。俳句は即興なり ≫
と三つの命題の上に俳句は存立すると明言。(「純粋俳句」昭和27)
存問については『虚子俳話』の中に二編、次のごときものがある。
《 ――お寒うございます、お暑うございます。
日常の存問が即ち俳句である。
・・・・・・・・
平俗の人が平俗の大衆に向っての存問が即ち俳句である。≫
( 高浜虚子「朝日新聞」昭和32・12・29 )
《 ――曾つて「存問」と題する一項目を書いた。
「お暑うございます」「お寒うございます」
日常存問が即ち俳句であると。
山本健吉氏は新潮文庫の「虚子自選句集」の解題に
「日常の存問が即ち俳句である」といふ私の説を引いてかう書いてをる。
「おそらく氏(虚子)の存在の揺るぎなさは、
俳句を『日常の存問』として、刻々のうちに
俳句に生きてゐることに在るのであろう。」
さうして次の数句(節録)を挙げてをる。
遠山に日の当りたる枯野かな 虚子
桐一葉日当りながら落ちにけり 同
流れ行く大根の葉の早さかな 同
旗のごとなびく冬日をふと見たり 同
天地の間にほろと時雨かな 同
彼一語我一語秋深みかも 同
去年今年貫く棒の如きもの 同
然り、四季の自然、人間に対する私の存問である ≫
( 高浜虚子「朝日新聞」昭和33・5・11 )
はい。この頃私は、年賀はがきを積極的に書いておりません。
けれど、年賀はがきは舞いこむ。そんな少数相手に書きます。
年賀はがきを書かずに、こうして『存問』のことを思い浮かべています。
コメントありがとうございます。
『褌の前垂れ』ですか。
いけません。褌の連想が働きます。
海浜学校というので、
現天皇陛下が、子供の頃に
学校単位で海で泳いでいる写真がありました。
うん。たしか赤褌。きりりと締めて。
その際は、前垂れはついてませんでした。
「挨拶句」
ふと、俳諧連歌での「発句」を思い浮かべておりました。
いろいろ教えていただく中で、発句のはかなさって?
など思ったこともありました。
先日とは逆に、脇句を付けて一つの世界にしてみるという戯歌を楽しめるでしょうか。
コメント昨日拝見。楽しめそうなので、
一晩寝かせました。
この本はあくまで「俳句用語・・」
俳諧とは別れているのですが、
それでも、俳句は俳諧から別れたわけで、
いきおい、俳句を解説しようとすれば、
俳諧に言及せずにはならず、
そんな微妙な視点を読めば楽しめそう。
その際に、子規から引き継いだ
高浜虚子の俳句や、その説明が
俳句と俳諧の両方にまたがって
生み出されてると思い至ります。
虚子を読むのは、取りも直さず
虚子俳句の中に、俳諧の背景と
富とを探り深めるキーワードが
隠されている。
はい。ぼんやりと、そんなことを思いました。
俳句から俳諧へともどることが可能ならば、
その大事な道案内人は、どうやら高浜虚子。
という角度から、高浜虚子を読めればと。
keiさんのおかげで貴重な示唆をいただきました。