和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

水は恐ろしいもの。

2011-05-16 | 短文紹介
幸田文の「こんなこと」。
そこに「あとみよそわか」という短文の集まりがあり、
そこに「水」と題された文があるのでした。
たしか、中学生の頃に読んだ覚えがあります。

はじまりは
「水の掃除を稽古する。『水は恐ろしいものだから、根性のぬるいやつには水は使へない』としよつぱなからおどされる。私は向嶋育ちで出水を知ってゐる。洪水はこはいと思つてゐる・・・・」

新潮日本文学アルバム「幸田文」(新潮社)には
明治40年、隅田川の洪水で水に浸った露伴邸の写真が載っております。また、明治43年8月の大出水。向島三囲神社附近の写真が載っております。

青木玉対談集「祖父のこと母のこと」(小沢書店)の最初の対談に、こんな箇所。

「そこに住んだのは関東大震災まで、その翌年に小石川に引越してきました。震災で向島の井戸がみんなダメになっちゃったらしい。あのあたりは町工場がたくさんありましたから、震災で地盤が揺れて、工場排水や汚水が家庭の井戸に流れこんじゃったんです。母は一生懸命、あっちこっち貰い水をしたそうですけど、どこへ行っても汲んだときはきれいだけど、持って帰ってカメにあけてしばらくすると、ギラギラ石油が浮いちゃう。どこの井戸もダメ。」

ちなみに、このあとに「あとみよそわか」の意味も語られております。

「『・・・・もういいと思ってからももう一度よく、呪文をとなえて見るんだ』と云った。ソワカというのはお経のそわかです。自分のやったことのあとをよく見て、お経をとなえておく。あとみよそわか。これ、露伴経です(笑)。あたしなんか、あとみ、よそわか、と言ったりで、べんけいがな、ぎなた、の口でしたけど(笑)。」

うん。「水」へともどります。

「父は水にはいろいろと関心を寄せてゐた。好きなのである。私は父の好きだつたものと問はれれば、躊躇なくその一ツを水と答へるつもりだ。大河の表面を走る水、中層を行く水、底を流れる水、の計数的な話などは凡そ理解から遠いものであつたから、ただ妙な勉強をしてゐるなと思ふに過ぎなかった。が、時あつて感情的な、詩的な水に寄せることばの奔出に会ふならば、いかな鈍根も揺り動かされ押し流される。水にからむ小さな話のいくつかは実によかつた。これらには、どこか生母の匂ひがただよつてゐた。生母在世当時の大川端の話だつたからである。・・・・・これらの話は一ツだけしか残つてゐない。残つたのは『幻談』と私のあきらめばかりである。」


ちなみに、幸田露伴のその『幻談』というのは、
昭和13年(1938)の9月に「日本評論」に発表されておりまして、
その年の5月には、幸田文は離別して、玉を連れて実家にもどっておりました。


さてっと、このあとには、ポオの『渦巻』から、渦から逃れ方を聞くこととなり、不思議は「その翌日、私はずぼんと隅田川へおつこつたのである」という話になるのでした。

面白いのは、「幸田文対話」(岩波書店)に、「おさななじみ」と題して関口隆克氏との対談が載っているのでした。そこで会話。

関口】 だけどね、これ、あなただと思うけど、ほんとだったかどうか、言ってよ。・・・雷門のところで電車をおりて、吾妻橋で一銭蒸汽に乗ろうとしたら、あの舟板っていうのか、板があって、あれを渡ろうとしたときですよ、落ちた、落ちたって・・・。
幸田】 あれ、あたくしよ。
関口】 あなたでしたか、やっぱり。落ちたっていうから、面白いやね。面白いって言っちゃ悪いけど。・・・・その間へ落ちたっていうんで、ぼくが見てたら、ポカッと頭が出てきたんだな。女の人だ、と思っていると、左手にご本なんかの風呂敷包みをもって、右手に、あれは傘だと思った・・・・。
幸田】 傘よ、傘。コウモリ傘よ。
関口】 それでスーッと出てきて、だれかが手を貸したら、そのままフッとあがったんだ。それでぼくはね、ハッと思いましたよ。たしかに文子さんだと思ったけどね、みんなに取巻かれてたから。すこし青ざめていたかと思うけども、リン然としておられるのでね、近寄りがたくて、その日はとうとう、あなたに口をきけなかった。すこし離れたところで見ていて、あなただろうと思ったんですけれども。
幸田】 そうです。あたしですよ。
  ・・・・・・
関口】 ・・・そうしてもう一つ、あなたが立ったとき、ゲタをはいていたんです。
幸田】 そうですよ、片っぽだけ。
関口】 あれは驚いたねえ。川へ落っこって、もぐって出てきた人が、ちゃんとゲタをはいているなんて、気丈な方だと思ってね、こわかったなァ。近寄れなかった。
幸田】 こわかったのは、わたしのほうよ。家へ帰るのにオドオドしちゃった。・・(p247~249)


う~ん。このエピソードを聞いてから、『水』の後半を読むと、また別の味わいがあります。

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