芸術の秋というのでしょうか。
ときどき詩をひらきたくなるように、
絵をみていたくなる時が、あります。
はっきりと、汗をかいてはTシャツを
こまめに取り替えていた季節が過ぎ。
水分の渇きから、芸術の秋へ鞍替え。
ということで、ついふらふらと
古本の美術書へと手がでました。
今回購入したのは、窪島誠一郎文・無言館編
『戦没画学生 いのちの絵100選』(コスモ教育出版)。
215ページあり。美術館展のカタログという体裁でした。
パラリとひらけば、左ページには絵が、右ページには紹介文。
左ページの絵の下には小文字の解説で、姓名をひらがなで示した後に、
生年月日と出身地と入営地。戦死地にふれた後、享年何歳とあります。
その小さい文字をみながら、上にある戦没画学生の絵を
パラパラととにかく最後までめくってゆきます。
明治の方もおられますが、大抵が大正生まれでした。
思い浮かんできたのは、自分の父親のことでした。
父は大正2年生まれ。補充兵として昭和18年29歳で出兵しております。
戦後父は帰ってきて、そして私が生まれたわけですが、
この本の絵を描いた人たちは、描いたまま帰ってきはしませんでした。
そんなことを、つい思いながらページをめくっておりました。
妹を描いた絵。祖母を描いた絵が印象に残ります。
その完成度が高ければ高いほどに
描かれた家族のこと、残こされた家族のことが
思い浮かびながら、絵をみていることに気づきます。
気になった絵があると、右ページの文も読んでみます。
祖母なつの像を描いた蜂谷清を紹介した文を読んでみました。
そのはじまりは
「蜂谷清は召集令状をうけとった日、
日頃から自分を可愛がってくれていた祖母のなつに、
モデルになってくれと頼んだ。
『戦争に行ったら、もうばあやんを描けなくなるから』
なつは一張羅の着物に新しい銘仙の帯をしめて清の前にすわる。
幼かった清をおぶるとき、いつも羽織っていたなつかしい赤い半纏を着て。
昭和18年2月、清はこの絵を描きあげたあと・・・
千葉県佐倉連隊に入隊した。・・・・
昭和20年7月、フィリピン・レイテ島で戦死する・・・ 」
うん。読めてよかった。
コメントありがとうございます。
はい。画集のあとは詩を引用することに。
コメントをいただいて、
あ、そうだと思い浮かぶ詩がありました。
以下に全文引用することに。
古い絵 岸田衿子
木の実の重たさをしるまえに
話をはじめてはいけません
実のそとを すべる陽
実のなかに やどる夜
人の言葉の散りやすさ
へびと風との逃げやすさ
手のひらに
うす黄いろい実をおとすのは
あの枝ですか
神の杖ですか
かすかな音をきくまえに
話をはじめてはいけません