gooブログ内に『京都園芸倶楽部のブログ』があり、
4月21日・4月12日と本満寺のボタン(牡丹の花)の写真が
載っているのでした。
そういえば、と本棚から
中村草田男著「蕪村集」(大修館書店)を取り出す。
この本は、蕪村の句に、草田男氏が解説をしている。
たのしい本でした。
蕪村に牡丹の句があります。
その句を解説した草田男さんの文に
『牡丹は『気』の横溢した花である。』とあります。
うん。はじめからいきましょう(笑)。
まずは、蕪村の句から、
『 牡丹切(きつ)て気の衰ひしゆふべ哉(かな) 』
これを草田男氏は訳すのでした。
「自ら丹精をこめて咲かせた牡丹である。
このまま庭に置こうか、切って部屋の中に移して身辺に飾ろうか、
切るとなれば花弁のゆるまない今のうちでなければならないーー
かく迷ったあげくにある夕べついに決心して切りとった。
さて切りとってみると、何日来かの思案が解決したので安堵もするし、
同時に、花を失ってしまった庭の株を見るとむざんなことをしたような
気もするし、あれこれで何だか一種気抜けがしたように覚える。
主人公がいかにも牡丹を熱愛しており、
切る切らないを重大関心事としている様子があらわされている。
牡丹は『気』の横溢した花である。
それを木から切ってしまえば、美しさに変化はなくとも
『気』の力の大半は失われる。そのことが主人公の心理にも影響している。
一事を解決した後の安堵と気の弱りである。・・・」(p142~143)
はい。中村草田男全集の古本が届きました。
大学の図書館の廃棄本とあったので、まず月報はないものと
思っておりましたが、ちゃんと月報も本に挟まってありました。
布張りの白の表紙も、おもったより綺麗で、背表紙のラベルも
きれいに取ってありました。むろん函はなし。
大学の図書室に、中村草田男全集を置かれた方がいて、
大学の図書館から、中村草田男全集を廃棄された方がいる。
ページもめくられなかったような、そんな全集が手にはいる。
大学図書館の白布張り全集に触れもせで、
かなしからずや、本を説く君。
というような雑念が思い浮かびます(笑)。
ヨ~シ。白布張り古本全集を読みながら、
私は、読み跡をつけてゆくのだ。
そう。毎回古本が届くと思います。うん。
『棒ほど願えば、針ほどかなう』で行きます。
当ブログ記事にコメントをいただき、早速に貴ブログの記事を楽しく拝読いたしました。牡丹を詠んだ蕪村の句のことなど、価値のある内容でした。ありがとうございます。