和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「ファイト!一発!」

2021-02-15 | 本棚並べ
コマーシャルの印象に残るフレーズはありますよね。

わたしなら、JR東海の『そうだ、京都 行こう』。
もう廃校になってしまった、卒業した小学校の校歌に、
一番、二番、三番と『そうだ』がリフレインのように
繰り返されていて、それがあって印象が鮮やかでした。

はい。今とりあげるのは『ファイト!一発!』。
増谷文雄著「臨済と道元」(春秋社)を読んでいると、
『発心』とあり、さらに『一発菩提心』ってのもある。

道元の『正法眼蔵』95巻は、どのようにして書かれたか
を増谷氏はこう書いております。

「それらの巻々のなかには、書して俗弟子に与えたものなども
あるが、その大部分のものは、興聖寺や越州の山中の古寺において、
『示衆』すなわち衆にしめしたものであると記されている。
まず草案としてそれらをしたため、やがて法堂(はつとう)において
弟子たちに説いたものと思われる。」(p176)

その「正法眼蔵」の第69、『発無上心』の巻に
『一発菩薩心』という言葉があるのでした。

この第69巻は、「寛元2年(1244)の2月14日、吉峰精舎において
衆に示したものとある。それは、ちょうど、大仏寺の法堂建立の
直前のことであって・・・とすれば、この巻の聴衆のなかには、
供養者や工事の関係者も加わっていたことと思われる・・・」(p34)

はい。工事関係者へ向かって語られたような箇所があります。

「すなはち発心なり。虚空を撮得(さつとく)して、造塔造仏すべし、
谿水を掬舀(きくよう)して、造仏造塔すべし。・・・」

このあとに『一発菩提心』とあるのでした。
そこを引用するまえに、増谷氏の解説をまずもってきてみます。

「そこでは、発心すなわち菩提心をおこすことが、その中心課題である。
それは、大仏寺の建立をまえにして、まことにふさわしい課題としなけ
ればならない。その課題につき、道元は、ここに『発心は一発にして』、
もはや発心を要せずというのは、仏法をしるものの言にあらずとする。

そのついでに、また、修証の問題に言及して、『修証もまたかくのごとし』
となし、もしも、修行は無量であるが、『証果は一証なり』ときくものが
あったならば、それもまた、『仏法をきくにあらず、仏法をしれるにあらず、
仏法にあふにあらず』と述べているのである。」

はい。増谷氏は「正法眼蔵」第69巻からの引用をしているので、
そこを原文は、どう語られているのか

「・・一発菩提心を百千万発するなり。修証もまたかくのごとし。
しかあるに、発心は一発にして、さらに発心せず、修行は無量なり、
証果は一証なりとのみきくは、
仏法をきくにあらず、仏法をしれるにあらず、仏法にあふにあらず。

千億発の発心は、さだめて一発心の発なり。
千億人の発心は、一発心の発なり。
一発心は千億の発心なり。

修証転法もまたかくのごとし」(p34)


分かるようで、読み流す私には、わからないですが、
そういう時こそ『ファイト!一発!』という言葉を
思い浮かべながら、さらに読んでみることにします。

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2 コメント

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そうだ、京都 行こう (きさら)
2021-02-16 08:49:42
「そうだ、京都 行こう」
JR東海の このCMは関西では
流れてないのですよ。

私は数年前に ネットで初めて知りました。
春のバージョンのを
ざっと見てきました。
ホントに素敵なCMですね。

いますぐにでも
京都に飛んでいきたくなります。

「ファイト!一発!」も
印象的な作品ですね。

私の心に残っているのは
「私にも写せます」フジカシングルエイト
「お~モーレツ」 丸善石油
いっぱいありすぎて思い出せない~(>_<)

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いつか。 (和田浦海岸)
2021-02-16 10:14:57
きさらさん。
コメントありがとうございます。

「そうだ、京都 行こう」
うん。
「いつか。京都 行こう」

ちなみに、
私が卒業した小学校の校歌は

太平洋の 大空に
つながる 青い空の町
浪路の果ての雲にさえ
希望のひとみ輝くよ
そうだ 希望をこの胸に
・・・・

こう一番がはじまっておりました。
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