昨日は「宮中歌会始」(毎日新聞社・1995年)を
すこし紹介したのでした。
その岡野弘彦氏の文には、
こんな箇所もありました。
「こうして見てくると、
毎年の歌会始の儀式の中で天皇の歌が歌われ、
それが新聞やテレヴィによって
全国に知られることの意味の大きさは、
およそ察することができるであろう。
日本人にとっては、単なる文学以前の広く深い意味を持った、
よき生き方をこの世にもたらそうとうする
共同の情熱の凝縮した、力ある歌の働きの示される場である。
さらにあの場は、
天皇と国民との歌による心の交流の場でもある。
およそ十人の預選者の歌は実は代表の姿であって、
あの背後には何万の詠進者があり、
さらに数多くの国民の心がある。
すべての詠進歌は全部が綴じられて、
一度天皇の前に据えられるのも、
そのためである。」(p74)
ちなみに、岡野弘彦氏はこの本では
「宮内庁御用掛。歌会始選者。」とありました。
大正十三年三重県生れ。
今年は、読売新聞の一月分だけを
購読したので、さっそく古新聞をひっくりかえして
2018年1月3日の文化欄をひらくと
ありました。岡野弘彦氏の3首。
ということで引用しておきます。
神在月(かみありづき) すがしき國に召されゆけ。
九十(ここのそぢ)経し 妻のたましひ
やがて来む 睦月・きさらぎ。
八雲たつ国原きよき 新(あら)た世の声
はろばろと 海わたりくる百千鳥(ももちどり)
海彼(かいひ)の歌を われに聞かせよ
はい。はじめに引用した岡野氏の言葉を読んでから、
この歌を読むと、味わいがちがってきました。
もどって、1995年出版の本「宮中歌会始」を
改めてひらき、その最後が平成7年度となっているので、
そこの選者の中の一人・岡野弘彦氏の歌を最後に引用。
ちなみに、この年は御題は『歌』でした。
歌ふことなき若者に万葉のうた
詠み釋(と)きて老いに到りぬ
すこし紹介したのでした。
その岡野弘彦氏の文には、
こんな箇所もありました。
「こうして見てくると、
毎年の歌会始の儀式の中で天皇の歌が歌われ、
それが新聞やテレヴィによって
全国に知られることの意味の大きさは、
およそ察することができるであろう。
日本人にとっては、単なる文学以前の広く深い意味を持った、
よき生き方をこの世にもたらそうとうする
共同の情熱の凝縮した、力ある歌の働きの示される場である。
さらにあの場は、
天皇と国民との歌による心の交流の場でもある。
およそ十人の預選者の歌は実は代表の姿であって、
あの背後には何万の詠進者があり、
さらに数多くの国民の心がある。
すべての詠進歌は全部が綴じられて、
一度天皇の前に据えられるのも、
そのためである。」(p74)
ちなみに、岡野弘彦氏はこの本では
「宮内庁御用掛。歌会始選者。」とありました。
大正十三年三重県生れ。
今年は、読売新聞の一月分だけを
購読したので、さっそく古新聞をひっくりかえして
2018年1月3日の文化欄をひらくと
ありました。岡野弘彦氏の3首。
ということで引用しておきます。
神在月(かみありづき) すがしき國に召されゆけ。
九十(ここのそぢ)経し 妻のたましひ
やがて来む 睦月・きさらぎ。
八雲たつ国原きよき 新(あら)た世の声
はろばろと 海わたりくる百千鳥(ももちどり)
海彼(かいひ)の歌を われに聞かせよ
はい。はじめに引用した岡野氏の言葉を読んでから、
この歌を読むと、味わいがちがってきました。
もどって、1995年出版の本「宮中歌会始」を
改めてひらき、その最後が平成7年度となっているので、
そこの選者の中の一人・岡野弘彦氏の歌を最後に引用。
ちなみに、この年は御題は『歌』でした。
歌ふことなき若者に万葉のうた
詠み釋(と)きて老いに到りぬ
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