和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

どうしてこんなまちがいをやったんだろうな。

2015-06-14 | 地域
「梅棹忠夫語る」(日経プレミアシリーズ新書)に

和辻哲郎の「風土」について
語った箇所があります。

梅棹】 和辻さんという人は、大学者にはちがいない。
ただ、『風土』はまちがいだらけの本だと思う。
中尾がつくづく言ってた。
『どうしてこんなまちがいをやったんだろうな』と。・・
どうして『風土』などと言っておきながら、
ヨーロッパの農場に雑草がないなどと、そんなバカなことを
言うのか。どうしてそんなまちがいが起こるのか。
中尾流に言えば、『自分の目で見とらんから』です。
何かもう非常に清潔で、整然たるものだと思い込んでいる。
ヨーロッパの猥雑さというものがどんなものか。
そんなことが、現地で見ているはずなのに、
どうして見えないのか。・・・
見かけにだまされるのならまだいい。
それとちがうな。あれは思い込みや。
わたしが『ヨーロッパ探検』などと言い出したので、
びっくりされたこともあった。
『ヨーロッパは学びに行くところであって、
調査に行くところとちがう』と。
それでわたしは怒って、文部省にガンガン折衝して、
ヨーロッパがいかにそういうイメージとちがう
ところかということを説得した。・・・
『学びに行くヨーロッパ』がいかに
『ヨーロッパの本質』とちがうか、それがわからない。
民博設立のベースには、多少そういうものがあったと思う。
(p26~27)


この新書は、小山修三氏が聞き手となって
語られたもの。2010年に出ております。
この内容などは、以前から仲間うちで
さんざん語られていた内容なのでしょう。
それが、晩年に活字となって残された。
という経緯のように読めます(笑)。
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どの本が決定的にインチキであるか。

2015-06-13 | 短文紹介
平山周吉氏は元編集者。検索すると、
文芸春秋で「諸君!」「文学界」編集長
という経歴。

編集といえば、鷲尾賢也氏の
「編集とはどのような仕事なのか」
という本を思い浮かべます。

ちなみに、お二人とも慶應義塾卒業。
平山周吉(1952年生まれ)は、文学部国文科卒。
鷲尾賢也(1944年生まれ)は、経済学部卒。

鷲尾氏は
講談社入社、「週刊現代」編集部から
「講談社現代新書」編集長
PR誌「本」編集長など歴任・・・

さてっと、
「編集とはどのような仕事なのか」の
「著者に育てられる」という章から引用。


「新書の世界で講談社が、岩波、中公の後塵を
拝してしたことはすでに述べた。東京より京都の
方が差別される度合いが少なかったのだろう、
当時の編集長は企画のターゲットを京都の著者に
絞っていた。桑原武夫、今西錦司、梅棹忠夫、
林屋辰三郎、奈良本辰也、貝塚茂樹といった大物に
接触を試みていた。そこから、その弟子筋が紹介
されるのが京都システムであった。・・・・
『季刊人類学』という雑誌を社会思想社からひきついで、
編集実務を講談社が引き受けていた。当然赤字であるが、
今西錦司、梅棹忠夫以下のいわゆる文化人類学関係の
著者獲得の一方法としてはじめたと聞いている。
その結果、岩田慶治、佐々木高明、米山俊直、谷泰、
松原正毅といった方々と長い間、おつきあいが生まれた。」

「現代新書を中心にした編集部の黒字があったため、
『季刊人類学』は刊行がつづけられ、会社全体の業績が
好調であったので、それが許されたといえる。
また講談社が総合出版社に上昇するときだからこそ、
上司は引き受けたのであろう。『季刊人類学』は
まことによき時代の産物であった。いまではもう
このような刊行はほとんど不可能だ。」


私は『季刊人類学』を見てない(笑)。
さてっと、講談社から出ていた
「知的生産の技術」研究会編の
「わたしの知的生産の技術」
「続わたしの知的生産の技術」
「新わたしの知的生産の技術」
という古本が手元にあります。

ここでは、「続・・」に掲載された
加藤秀俊氏への質問が印象に残るので
引用します。
私は、この質問者は編集者じゃないか
などと思いながら読みました。

質問者Å】 本というのはあまりあてにならない
面もあるのだというお話でしたが、そういう本を
チェックしながら使う方法を教えて下さい。

加藤秀俊】 ・・・・・・たとえばアフリカ関係の
ことについて調べようとした時に、本は非常にたくさん
出ています。しかし私は本を読む前に、幸いにして
アフリカの現地に行ったことのある、あるいは
一、二年住んで調査したことのある伊谷純一郎さんとか
米山俊直さんとかの友人を何人か持っています。
その人たちのところに行って、どの本を読んだらよいか、
どの本が決定的にインチキであるか、専門家というのは
決定的にインチキな本まで教えてくれるものです。
そういうことをきいてから本を選びます。・・・・
いま日本で足りないのは、情報の鑑定士といいますか、
あのお茶碗や刀剣などの目利きをする鑑定家という人たち
がいますが、情報でもおそらく大事なのは鑑定家であって、
こういう人がおびただしい情報の中から本物を選りわけ、
上手につくってある偽物を偽物と見抜いてくれるわけです。
ですから何を頼りにするかという時にはしかるべき
鑑定家を探す、ということになるのではないかと思います。
(p74~75) 


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草森紳一享年七十。

2015-06-12 | 短文紹介
平山周吉著「戦争画リターンズ」(芸術新聞社)
をめくっていると、
草森紳一氏が登場しております。

気になる箇所を引用。

「(2008年)の三月に、草森紳一は永代橋際の
マンションの一室で、三万冊の蔵書の中に埋もれて
死んでいた。
草森さんと連絡がつかなくなって一週間がたつと
いう報が入り、数人の知り合いと一緒に、永代橋
近辺の聞き込みと草森さんの部屋の捜索を敢行
することになった。その時の捜索隊長が、・・
芸術新聞社の相澤さんであった。
本がうずたかく積まれた部屋の中を、相澤隊長は
用意周到にも懐中電灯まで用意して、山男の
フットワークで陣頭指揮をとった。
入ることを禁じられていた部屋の中は、草森さんが
『随筆 本が崩れる』(文春新書)で書いている
とおりの惨状であった。・・・・
翌日、私(平山周吉氏)は捜索に加われなかった
のだが、相澤隊長が膨大な本で出来上った高い
『城壁』の向うに、草森紳一を発見した。
享年七十であった。・・・
締め切りをとっくに過ぎた連載原稿を書いている
途中での、あっけない死であった。・・・」
(p114~115)

あとがきには
こんな箇所も。

「相澤さんとは、これも本文に何回か登場して
もらった草森紳一さんを介して会った。
三人で会うことも多く、草森さんを抜きにして
二人で会うこともあった。毎年、暮れの三十日頃には、
門前仲町で忘年会となった。サッカー好きの相澤さん
の提案で、Jリーグのジュビロ磐田の試合を見に、
三人で出かけたこともある。十五年くらい前のことだ。
草森さんがバスの中で、その時書く原稿のために
持ち歩いていた会澤正志斎の『新論』を置き忘れ、
大慌てになったこともなつかしい。・・・」
(p418)
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「知の技術」の産声。

2015-06-11 | 古典
梅棹忠夫著「知的生産の技術」が気になって、
加藤秀俊氏の関連文を見てみる。

まず
「梅棹忠夫著作集第11巻」。
第11巻は「知の技術」。
その最後のコメント2に
加藤秀俊氏が書いておりました。

そこに、
『ベストセラー物語〈下〉』(朝日選書108)
に加藤秀俊氏自身で「知的生産の技術」を
取り上げて書いていると紹介されております。


講談社に
「わたしの知的生産の技術」
「続わたしの知的生産の技術」
(「知的生産の技術」研究会編)

この2冊に研究会に呼ばれて
加藤秀俊氏が話して、質問に答えております。
ここでは、そのお話よりも、
質問への答えが魅力的でした(笑)。


加藤秀俊著「わが師わが友」(中央公論社)
これは、加藤秀俊データベースにて、
簡単に見ることが出来ます。

どれも興味深いのですが、
ここでは『ベストセラー物語〈下〉』
から引用。

「べつのいいかたをしよう。
もしも、日本の教育のなかで、
知識はどんなふうにしてあつめたらいいのか、
ノートはどう使うべきか、
じぶんで発見した事実はどうまとめたらよいのか、
といったような、学問をするにあたっての
基本技術がじゅうぶんにゆきとどいていたならば、
『学園紛争』はあんなふうにひろがることも
なかっただろうし、また、
『知的生産の技術』がベストセラーになる、
といった事態もありえなかっただろう。」


「挌闘実技の指南書なのである。
読み、かつ、その指示にしたがって行動する、
という、まことにふしぎな読書法を、
この本をつうじて読者は学んだ、
といってもよい。
行動することによって読書のたのしみを知る
――それは、活力にあふれた学生や若い
サラリーマンにとって、おそらく新鮮な経験
であったにちがいない。・・・・文字どおり
『行動』への糸口をこの本が用意していた、
という事実を見おとすことはできないのである。」


「だが、それにしても、ほんらい、
この本を読んでみずからを啓発すべき人たち、
そしてその自己啓発をつうじて、つぎの世代の
若ものたちに、『知的生産』の『技術』を
つたえるべき立場にいる人たち――たとえば、
大学の先生たち――が、結局のところ、
この本を読んでいないらしい、という事実も
このさい忘れてはならないだろう。・・・」


うん。また『知的生産の技術』を
読み直したくなりました(笑)。

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ずいぶん削った。夏だった。

2015-06-09 | 短文紹介
梅雨入りしたというニュース。
うん。私は
梅雨より、次の夏を思う。

ということで、
鷲尾賢也著
「編集とはどのような仕事なのか」より
こんな箇所を引用。
(トランスビュー・2004年版)


瀬戸内の相生(あいおい)がでてきます。

「ずいぶんむかし、高島俊男さんに『中国の大盗賊』
という新書を書いていただいたことがある。
まだ岡山大学にいらっしゃたころで、
いまのように辛口エッセイストになる以前である。
ある日、原稿がどーんと届いた。
包みを開けてみて仰天した。枚数が大幅に
オーバーしているのである。
250~260枚ぐらいまでとお願いしたのに、
優に400枚を超えている
頭をかかえてしまった。どうしよう。
それから机の上で挌闘がはじまる。
なんとか自分なりのプランをもって、
決死の覚悟を抱いてうかがうことにした。
ご自宅は瀬戸内の相生である。
たしか夏だった。汗をかきかき、
玄関で声をかけると、ランニング姿で
パンツひとつの高島さんがあらわれた。
部屋に通されたが、クーラーがない。
『鷲尾さん、パンツになったら』という。
さすがにそこまではできず、ネクタイをはずし、
Yシャツをぬぎ、こちらの構想を説明する。
冷蔵庫にビールがあるから、自分でもってきたらという。
奥に入ると、すごい。
洗濯物が梁からたくさんぶら下がっている。
それをかき分け、冷蔵庫にたどりつき、
缶ビールと肴になりそうな怪しい缶詰を取り出し、
また洗濯物をかきわけ、高島さんの前にもどるという始末。
そのなかでのどうカットするかの交渉である。
暑いので原稿が腕などにはりつく。
下着姿の男ふたりの姿は思い出すだけでもおかしい。
毛沢東は大盗賊であるという最終章をまず削ろうと
お願いするが、なかなかウンといわない。・・
しかし、なんとか了承していただいた。
他の箇所もずいぶん削った。
刊行後、評判がよくかなり版を重ねたので
胸をなでおろした。もし売れなかったら、
削ったからだなどといわれそうだからである。
・・・やはり削ってよかったと思っている。
暑い相生とあの洗濯物は、
いまでも記憶に新しい。」
(p220)
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やっぱりそうだよね。

2015-06-08 | 短文紹介
東日本大震災のあとの
「新潮45」2011年5月号の対談が
印象に残っております。

ビートたけし対談のゲストは鎌田浩毅氏。
そのはじまりの方を引用。


たけし】 ・・・今回の東日本大震災が
来る前から政府の地震調査委員会の報告では、
宮城県沖地震、三陸沖北部地震、茨城県沖地震
が今後三十年以内に起こる確率は90パーセントを
超えていたそうで、先生もそのことを昨年末、
雑誌で警告していた。特に宮城県沖地震は
99パーセントだった。そのことに驚きましたね。

鎌田】 地震学者が公表する地震の発生確率を
信じていなかった人も、今回の地震で
『やっぱりそうだったんだ』と言っています。
・・・・


雑誌で警告といえば、
2015年「正論」7月号に
田久保忠衛氏の10頁の文が掲載されております。
私は『やっぱりそうだよね』と読みました。

今月号なので、買って
読まれることをお薦めして、
ここでは、さわりを引用してみます。


「憲法記念日の5月3日付朝日新聞は社説で
『上からの改憲をはね返す』と題する相変わらずの
護憲論を書いた。・・・日本国憲法の原点に帰れと
叫んでいる。この地球に生きるものすべてが周囲の
環境に合わせて対応を変えていかないと死滅する
などという発想は存在しない。」(p65)

「私が朝日新聞と沖縄の新聞をことさらここに
挙げたのは、理屈でやり込めようとか、主張が
おかしいと考えるからではない。周りの変化に
対するあまりの無頓着さは限度に来ているのでは
ないかといささか心配になるからである。」
(p66)

「ユーラシア大陸で正面から向き合っている
中国の脅威が増大しているにもかかわらず、
政府も与野党も『脅威』を口にすることを
自制してきた。さらに、最後に依りどころに
していた米国もオバマ政権下では
『中国を刺激してはならない』との配慮が
常につきまとっている。最も信用してきた
保険があてになるかどうかに疑問が生じて
きたのである。・・・・
戦後の平和は『日本憲法があったからだ』と
護憲派はいま虚言を振り撒いているが、
国民の多くは本能的に事態の深刻さを悟り
始めたのではないか。
自衛のための軍隊を持つと憲法で明記しない
国を侮らない国はない。・・・」(p67)


「世界第二の経済規模を持つ中国とは
どの国々も経済的にはますます結び付きを
強めていくだろう。ただし、すべての国々は
中国に対して軍事的警戒心を抱いている。
経済は中国、安全保障は米国に依存したいという
心理的なねじれが事態をすこぶる複雑にしている。」
(p71)


今回はここまで。

東日本大震災の前に
鎌田浩毅氏の雑誌の警告を読めなかった人でも、
現在、田久保忠衛氏の雑誌の警告なら、読める。

あなたが、この機会にこの雑誌を
ひらきたくなったのならば、
これぞ、ブログ冥利(笑)。

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享年何歳。

2015-06-07 | 本棚並べ
注文してあった古本が届く。

文芸春秋2013年5月臨時増刊号
「鮮やかに生きた昭和100人」

古書音羽館(杉並区西荻北)
1300円+送料350円=1650円

雑誌の裏表紙に
電子版でもお楽しみいただけます。
とあり、
ああ、こういう100人の写真入りの
本は、電子版で見た方がいいのかなあ
と思ったり(笑)。

この雑誌は28センチ×21.5センチ。
せっかく購入したので、
気になった箇所を列挙してみることに。
それぞれの亡くなった年は


面倒なので
説明に、享年が書かれていないのは
はぶきました(笑)。

永井荷風   79歳
内田百ケン  81歳
古今亭志ん生 83歳
徳川夢声   77歳
熊谷守一   97歳
中川一政   97歳
吉田茂    89歳
正力松太郎  84歳
小泉信三   78歳
松下幸之助  94歳
土光敏夫   91歳
白洲次郎   83歳
江戸川乱歩  70歳
井伏鱒二   95歳
川端康成   72歳
大佛次郎   75歳
金子光晴   79歳
今東光    79歳
大宅壮一   70歳
稲垣足穂   76歳
海音寺潮五郎 76歳
山本周五郎  63歳
小林秀雄   80歳
松本清張   82歳
土門拳    80歳
棟方志功   72歳
齋藤秀雄   72歳
三遊亭圓生  79歳(六代目)
湯川秀樹   74歳
今西錦司   90歳
田中美知太郎 83歳
笠智衆    88歳
杉村春子   91歳
長谷川一夫  76歳
沢村貞子   87歳
淀川長治   89歳
小津安二郎  60歳
黒沢明    88歳
三船敏郎   77歳
森繁久彌   96歳
高峰秀子   86歳
宇野重吉   73歳
花森安治   66歳
岡本太郎   84歳
壇一雄    63歳
吉田健一   65歳
山本夏彦   87歳
柴田錬三郎  61歳
湯木貞一   95歳
中山素平   99歳
池波正太郎  67歳
司馬遼太郎  72歳
山本七平   69歳
山田風太郎  79歳
田中角栄   75歳
盛田昭夫   78歳
水原茂    73歳
大山康晴   69歳
中村歌右衛門 84歳(六代目)
手塚治虫   60歳
山下清    49歳
林家三平   54歳
藤山寛美   60歳
三波春夫   77歳
越路吹雪   56歳
渥美清    68歳
吉行淳之介  70歳
色川武大   60歳
藤沢周平   69歳
吉本隆明   87歳
向田邦子   51歳
開高健    58歳
江藤淳    66歳
井上ひさし  75歳
植村直己   43歳
柏戸剛    58歳
中村八大   61歳
武満徹    65歳
市川雷蔵   37歳
勝新太郎   65歳
池内淳子   76歳
石原裕次郎  52歳
美空ひばり  52歳
坂本九    43歳
太地喜和子  48歳
滝田ゆう   58歳
夏目雅子   27歳
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60年安保は、「今でしょ」。

2015-06-06 | 朝日新聞
石川水穂の「マスコミ走査線」に

「地方紙・ブロック紙も『戦争巻き込まれ』
論が目立った。」

として、そのあとに北国新聞を引用しておりました。
その箇所。


「・・これらの主張に対し、
次の北国新聞の社説は傾聴に値しよう。
『自衛隊の活動を広げる法案ゆえに
 〈 日本が戦争をする国になる 〉や
 〈 戦争に巻き込まれる 〉などと
反対する声がある。
60年安保改正のときも同じ主張がなされ、
国会は安保反対のデモ隊に包囲された。
だが、あのときの決断があればこそ
日本の平和と安定は保たれたのではなかったか』
『安保関連法案は日米同盟の
強化に伴って抑止力を高め、
〈 戦争に巻き込まれる 〉危険性を
減らすことに主眼がある』
『〈 日本が戦争する国になる 〉などという
批判は当たらない』・・・・」


これは「正論」7月号のp242に
あります。
捜せば、言葉を拾えました。

60年代頃の日本の新聞のイメージというのは
現在の沖縄の新聞にダブルような気がしてきます。

同じ雑誌「正論」に田久保忠衛氏が、
書いておりました。

「・・私はかつて沖縄に住み、
地元の人々の人情に接して
第二の故郷と考えているのだが、
この2つの新聞だけはいけない。
そう考えながら何十年の長い間
琉球新報と沖縄タイムスの地元2紙
の購読はやめられない。
同じような発行部数を持つ2つの新聞
が保守、革新にわかれて論陣を競うのではなく、
どちらが『日本政府』(両紙がたびたび使用)
により批判的かを誇示し合っている。
言論の自由が許されている国には
珍らしい視野狭窄の競争をしているのだから、
沖縄県が大らかに繁栄、発展するのは難しいと思う。」
(p65~66)

中国の報道。
韓国の報道。
沖縄の報道。
そして、
60年代日本の報道を思いながら。
それじゃ、
現在の日本の報道は、
上記の報道とどこが同じで
どこがどう違うのか。
誰が何と語っていたか。
どの新聞がどう書いていたか。
調べるのは、まさに「今でしょ」。
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店頭の格安本コーナー。

2015-06-05 | 本棚並べ
気になっていた新刊
平山周吉著「戦争画リターンズ
藤田嗣治とアッツ島の花々」
(芸術新聞社)を買いました。

ということで、
とりあえず、あとがきから引用。

「私が昭和史関係の本を好んで読む
ようになったのは、この十年来のこと
である。その間、もっともお世話になったのは、
神保町の古本屋街にある一軒のお店、それも
店頭の格安本のコーナーだった。こんな
著者が、記録が、自費出版本があるのかと、
大いに勉強させてもらった。書かずには
いられない、その人にとっての生涯ただ一冊の
本も多かった。万斛の思いが籠った本なのだから
読まなければと思いつつ、なかなか果たせない。
でもせっかく安い値段をつけてくれているのだから、
まずは手元に置いておこうと買い集めた。
・・・・
このお店、篠村書店は、鉄道マニアには有名な
お店である。店内の右側が鉄道本、左側が軍事を
中心とした歴史書だった。私は篠村書店では
心ならずも左派だったことになる。安い買い物
ばかりをして大した客ではなかったが、
この場を借りて、九十歳になる女主人の
篠村喜代子さんと故・釜野井勝美さん
(養子縁組して篠村姓になっていた)に
お礼申し上げる。・・・」


さて、どのように、古本が
この新刊一冊の味わいを出しているのか。
それが読めるしあわせ(笑)。
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『補記』の方が面白かった。

2015-06-04 | 短文紹介
山本七平著「小林秀雄の流儀」(新潮社)を
出してくる。本の題名にもなった章をひらく。
そこから引用。

「怠惰な書評家は『序文』と『あとがき』を読み、
『目次』を眺めてこの辺が『論点』だろうと
思われるところを二、三ヵ所ひろい読みして
書評をする。もちろん精読する人もあろうが、
ひろい読みか精読かは書評の価値を決定しては
くれない。創作であろうと批評であろうと、
その作品の価値は努力の累積で決定するわけではない。
さらに動機の純粋さなどは、何ら価値決定の尺度には
ならない。ドストエフスキーが『博打の借金』のため
に書きとばそうと、モォツアルトが『演奏に間にあわ
ないから』と練習の必要がない曲を作ろうと、
癇にさわる『あん畜生ぶったたいてやれ』で批評を
しようと、そんなことは出来てしまった作品の価値には
無関係であろう。・・・」(p210)

また、こんな箇所。


「『本居宣長』より『本居宣長補記』の方が後世に
残ることもあり得る。もちろん『本居宣長』がなければ
『補記』は生まれるはずはないし、『宣長』を読んだ
からそう言えるのだと言えば言えようが、
私には『補記』の方が面白かった。・・・」


小林秀雄著「本居宣長」と「本居宣長補記」と
だいぶ前に読んだので内容は忘れましたが、
これ、たしかに私もそう思いました。
その時私が思ったことは覚えております。
若い頃の小林秀雄という人は、
さんざん考えた末に、最後に短く言葉を使って
文章を書いていたような感じでした。
ということは、
若き頃の小林秀雄なら、
さんざん「本居宣長」の本文を考えた末に、
それをぜんぶ切り捨てて、
文章にするのは「本居宣長補記」だけを
書き記しておられたのじゃないか。

ですから、晩年の
「本居宣長」と「本居宣長補記」とは
小林秀雄の思考過程を辿るための
またとないレッスン教本であるのじゃないか。
などと思ったことがありました。
さて、今なら読み返せるかどうか(笑)。
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評価されなかった。

2015-06-03 | 短文紹介
雑誌「正論」7月号に、
安倍総理へのインタビューが載っている。

そこから一箇所引用。

安倍】 首脳会談の前日、オバマ大統領から
突然の提案があって、ワシントンD・Cの
リンカーン記念堂を二人で訪問しました。
・・・有名なゲティスバーグの演説と、再選
された際の就任演説の内容が刻まれていました。
『人民の、人民による、人民のための政治』と
いう民主主義の根本原理を示すフレーズで
世界的にも有名なゲティスバーグ演説ですが、
実際にはわずか二~三分程度の短いスピーチで、
演説当時はほとんど評価されなかったそうです。
オバマ大統領からそう紹介されましたので、
『政治家は演説を評価されなくとも
 気にする必要はありません』と
申し上げておきました。・・・・(p56)



ケント・ギルバートさんは
占領軍の日本洗脳工作「WGIP」を
とりあげての6頁(p196~201)。
最後の方に、
ケント曰く。「日本人にも
『もっとしっかりしろよ』と言いたい。」

文の最後は、こうしめくくっています。

「・・周辺国の執拗な言い掛かりに屈せず、
主張すべきことを堂々と主張する。
日本の主張がより世界へ広まるよう
心から願っています。」

巻頭随筆の高山正之氏からはじまる、
この一冊の読みごたえに感謝(笑)。

う~ん。外はだんだんどしゃ降りに。
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日本のための五冊。

2015-06-01 | 書評欄拝見
雑誌「正論」6月号が今日発売。
さっそく、ぱらり。
まず、興味を惹いたのは、
「【戦後70年企画】
 戦後思潮を考える・保守編
 日本のための五冊」
という特集でした。
西尾幹二・潮匡人・小川榮太郎
浜崎洋介の四人が各五冊をあげて
説明しておりました。

西尾幹二氏は、こうはじめております。

「戦後七十年、最も代表的な思想家と
いうと、私の場合には小林秀雄、
福田恆在、竹山道雄の名が挙げられる。
他の代替例は考えられない。三者は
私が人生の出発点で出会った思想家
というものの原型である。亀鑑として
仰いだ先達である。今もそこから湧き出す
思索の泉は限りない。しかし今はむしろ
もう読まないように努めている。
禁欲的にしている。・・・・」


四人のなかで、私に興味深かったのは
小川榮太郎氏の五冊でした。
そこだけ列挙してみると

①『鮮やかに生きた昭和の100人』
(文藝春秋90年記念2013年5月臨時増刊号)
②池波正太郎『鬼平犯科帳』(文春文庫)
③長谷川町子『サザエさん』(朝日新聞社)
④白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』
(新潮文庫)
⑤郡司勝義『小林秀雄の思ひ出』
(文春学芸ライブラリー)

ここには、
『小林秀雄の思ひ出』から引用されている
小林氏の言葉をそのままに引用。


「僕なんか、
ただ一介の職人にしかすぎません。
僕らの使ふ道具といへば言葉です。
先づ、これを使ひこなさなくちゃいけませんね。
まあ、芸といつてもいいでせう、
すべてを忘れて一心不乱にその芸を磨くんです。
ただ、ひたすら腕を磨くだけです。
こちらから出かけて行つて、ああだこうだと
私が意味をつけるんではないんです、
どうやつたら向うが心を開いて
此方へ語りかけてくれるか。
ぢつと辛抱して待たなくてはならないんです。
それだけが人間を大きくしてくれるんです。」

コメント
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