私は、安野光雅さんの対談本が好きです。
どうも、エッセイより好きな気がします。
ひょっとしたら、対談が仕事で、絵は余技なんじゃないか?
そんなふうに思ってしまうほど、安野さんの対談が好きです。
はい。大村はま・安野光雅の対談を、昨日読みました。
大村はま著「心のパン屋さん」(筑摩書房・1999年)の
最後に、対談は掲載されておりました。37頁ありました。
対談では、話題が多岐にわたります。
読んで思うのは『オフレコ』の魅力。
普通にエッセイなどを書く場合には、どなたにも分かるようにと
頭がはたらきますよね。ところが対談は相手とのキャッチボール。
ときに、ボールが相手へと届かなかったり、逆にオーバーしたり。
思いっきり投げて、それをしっかりキャッチしてもらえる手応え。
それは、思わずポロリと出てしまう『 オフレコ 』じゃないか。
何気に、文章の体裁をなさない言葉断片が読む者を惹きつけます。
まずは、会話の断片を拾ってゆきます。
はじめに、こんな箇所はどうでしょう。
大村】 私は子どもたちをどうしても読書家にしたかった。 ( p211 )
はい。これだけを、引用大書すると、誤解を招きかねない。
すぐ、つぎにつづけないといけませんね。
大村】 私ね、子どもたちにそういう読書技術を教えたいと思ったんです。
普通学校では、本がわからなくなると、それを何べんでも繰り返し
て読めばわかるというふうにして一冊の教科書でやってくるでしょう。
そうじゃなくて、わからないときには、別の本を読んでいくという、
そういうふうにするということがいいんじゃないかなと思って。
安野】 それはそのほうがいいです。・・・・
はい。つづけます。
安野】 本そのものがだめな場合というの、結構あるわけです。
これはしかし、なかなか読む側から見るとわからないことでして、
わからないのは自分が悪いんじゃないかと思いやすいです。
大村】 そうです。そうです。そう思っちゃいます。
頭が悪いんだ。読みが足りないとかね。
そういうふうに思っちゃいますね。 ( p210 )
大村】 ・・・・だから私、小中学校の先生がた、
つまんない本の読み手を育てないで欲しい・・・
何が書いてありますかなんて一生懸命訊いたりして、つまんないですね。
何が書いてありますかって訊かれると、かえってわからなくなるんです。
訊かれなければわかって読んでいますものね、子どもたちは。
・・・・・
その子はただ言えないだけじゃないのかなって。
発表力というのは、またむずかしいことですからね。
ことに気持ちなんていうのはね、なかなかむつかしい。
それをそこに書かれている気持ちの変化とか、
そういうのを図解しながら解説するんですね。・・
・・・ここのところではどういう気持ちって。
私、あれが嫌いで嫌いでたまらない。
はい。ふだん、生徒たちとの対話だと、こうはっきりは言わないでしょう。
どんな風に語っていたかも、対談でかたられておりました。
大村】 ・・・・・私、悪いということを
子どもに言うことは絶対にしなかったんですけど。
好きでないとか、面白くないとか、話したくないとか、
そういうことを言って、いやな意味を表していたんです。
こういう話し方の変化球を読めるのも対談の楽しみ。
大村】 子どもの読みたい本を調査したりする方があるんです。
それを統計にして子どもの読書指導の指針をそこから
求めるとかいったような研究発表がよくあるんです。
安野】 よくわかります。子どもの意見のアンケートが数字に変ると、
とたんに科学的に見えてくる・・・・
意味のない研究がたくさんありますねえ。
大村】 私、そういうの嫌いでね。
子どもが全部の本を見ているならいいけど、そうじゃないから。
私はそれに似たようなことでは、
どんな本があったら読みたいか
というのをやっていたんです。
これはどんな本が読みたいかよりも、
私は違う世界のものだと思う。
どんな本があれば読みたいかとか、
それから読みたい本というのがいまあるかって訊いて
黙っているような人は嫌いって言ったんですね。
そういう人はつまんない人。
私、悪いということを子どもに言うことは絶対にしなかった・・・
どんな本を読みたい。
べつにないようだったら、つまんない。
読んでなくても、あれとこれとこれと
読みたいと言えるような人でありたい。
そこまではしなければね。
ツンドクなんていう読み方もあるくらいだから、
読みたい本が数冊言えるということは、
ひとつの読書生活としての意味がある。
単なる読書指導じゃないから。
読書生活の指導だというふうに考えて向きをかえていたんです。
はい。以上は『 オフレコ 』に類することですから、
例えば、小中学校の先生に、父兄が大村はまさんは、
こう言っていましたね。とかいうのはいけません。
はい。分からない時は、どうすればいいか。
『 そうじゃなくて、わからないときには、
別の本を読んでいくという、そういうふうに
するということがいいんじゃないかなと思って。 』 ( p210 )
『 私は子どもたちをどうしても読書家にしたかった。 』 ( p211 )
はい。こんなことを言う、大村はま先生を、今年は読んでゆきます。