前日の池山吊尾根歩きは長くて辛く、12時間かかってヘトヘトになって北岳山荘に到着した。北岳山荘は現在改装工事中のため小屋は宿泊出来ない状況で、そのために重いテントを担ぎ上げてきた。天気予報では今晩から天候が荒れるようで強風と雨に見舞われるらしい。到着してテントを張り終えた午後7時ごろにはもう風が強くなり、小雨が降り出してきた。眠りについたのは午後9時過ぎだったが、強風でテントが揺れ、12時過ぎには目が覚めてしまった。強風で揺れるテントは時として顔に触れるほどに歪み、とても眠れたものでは無い。ほとんど横になっているだけで夜が明ける。
朝5時半にテントの撤収を始め、6時には撤収を終える。冬季小屋が解放されているので、そこを借りて同行した3人で食事を済ませる。小屋に張られている天気予報を見ると、朝6時の風速は10m、昼12時が16m、夕方6時が14mの予想である。悪天候なので予定していた間ノ岳方面の散策は止めて肩の小屋に移動することにした。この日の夜は肩の小屋を予約してあり、3日目にしてやっとまともな食事にありつける・・・はずだった。天候が荒れて来るであろうお昼になる前に肩の小屋まで移動する作戦で、朝7時に北岳山荘を出発した。
朝7時、出発時の北岳山荘。霧と雨と風で至近距離でも真っ白。
稜線まで登って先に進むと、横殴りの雨と前に進めないほどの強風が吹き荒れていた。風の少し弱まるのを待って前に進むのだが、同行者の1人は前日の強風でテントが揺られほとんど眠れなかったらしく、体調不良を訴えていた。やや急な斜面に差しかかった頃から足元がおぼつかず、フラフラしていて何度か転倒していた。なんとか中間点のハシゴのあたりまで着いたがかなり顔色が悪い。疲れに加えて低体温症も始まっているようである。私のフリースをカッパの下に着せたがそれでもおぼつかず、ビバークシートを体に巻き付けた。なんとかハシゴを登ったものの、その上の岩場でかなり危ない転び方をしてしまう。後ろに居た私が体を抱きかかえたので岩への直撃は避けられたが、居なかったら肩か頭を岩にぶつけて怪我をしていたであろう。
雨と強風の中でなんとか撮影したタカネマンテマ
偶然シャッターを切った1カット。真っ白で何も見えない。
もはや重い荷物を持って歩かせるのは困難であろう。完全に足元がおぼつかず、真直ぐに歩くことが出来ない。ザックをデポして空身で歩くことにする。低体温症が始まってしまっている。ビバークシートを取り外し、代わりに私のカッパを着せ、私がビバークシートを纏って進む。しかし、この状態で悪天候の中を北岳肩の小屋まで連れて行くことは困難である。なんとかトラバース道分岐のところまで腕を抱えながら連れて行き、稜線裏側にあるスペースにテントを張ってビバークすることにした。私自身もびしょ濡れになってしまったが、なんとかテントの設置が出来て休憩する。
テントの中でバーナーを焚いて暖をとろうとしたのだが、着火しない。着火装置が雨に濡れたことと気温が低くてガスの気化が悪かったことが重なったようである。いろいろといじってみて、20分後くらいにやっと着火することが出来た。同行者は疲れと低体温症が重なって横になって眠りについていた。もし目が覚めなかったら・・・という不安もあったのだが、バーナーに火が着いて暖がとれるようになったのでその心配は無いであろう。同行者は30分ほど眠って目を覚ました。顔色も少し良くなっていた。
さて、休めば登れるのだろうか?相変わらず強風が吹き荒れている。とても連れて行く自信は無い。時刻はまだ午前10時半であるが、天候が回復するのは明日の朝であろう。このままビバークするには食料が足りないしシュラフも1つしか無い。デポしたザックをとりに行かなければならないだろう。どうすれば生きて帰れるのか、そのことしか頭の中には無かった。今後どうするかをいろいろと考えていると、テントの中を覗き込んでくる人がやって来た。北岳肩の小屋の小屋番さんである。私がテントを張っている時に横を通り過ぎていった登山者が小屋に連絡してくれたようである。私たちの状況を見て、すぐに山岳救助隊に連絡してくれた。そして20~30分後に北岳山荘から救助隊がやって来た。だいぶ休んだので同行者は自力で歩けるのではないかと思ったのだが、やはりフラフラの状態でとても歩けるような状態ではなく、救助隊員の背中に背負われて安全な場所まで下ろしてもらうこととなった。
私も膝の痛みや足の疲れがあったのだが、そんなことはすっかり忘れてしまうほどに生きて帰ることに必死だった。強風の中をなんとか北岳山荘まで下りて、事なきを得た。
遭難した私たちが悪いのであるが、北岳山荘はこのような遭難者を暖かく迎え入れてくれた。ストーブを焚き部屋を暖かくしてくれて布団も用意してくれた。そして食事まで提供してくれた。その食事が、涙が出るほどにおいしかったことは忘れることが無いであろう。濡れた服はストーブで乾かして、夜8時には眠りについた。さて、明日は無事に下山できるであろうか?
朝5時半にテントの撤収を始め、6時には撤収を終える。冬季小屋が解放されているので、そこを借りて同行した3人で食事を済ませる。小屋に張られている天気予報を見ると、朝6時の風速は10m、昼12時が16m、夕方6時が14mの予想である。悪天候なので予定していた間ノ岳方面の散策は止めて肩の小屋に移動することにした。この日の夜は肩の小屋を予約してあり、3日目にしてやっとまともな食事にありつける・・・はずだった。天候が荒れて来るであろうお昼になる前に肩の小屋まで移動する作戦で、朝7時に北岳山荘を出発した。
朝7時、出発時の北岳山荘。霧と雨と風で至近距離でも真っ白。
稜線まで登って先に進むと、横殴りの雨と前に進めないほどの強風が吹き荒れていた。風の少し弱まるのを待って前に進むのだが、同行者の1人は前日の強風でテントが揺られほとんど眠れなかったらしく、体調不良を訴えていた。やや急な斜面に差しかかった頃から足元がおぼつかず、フラフラしていて何度か転倒していた。なんとか中間点のハシゴのあたりまで着いたがかなり顔色が悪い。疲れに加えて低体温症も始まっているようである。私のフリースをカッパの下に着せたがそれでもおぼつかず、ビバークシートを体に巻き付けた。なんとかハシゴを登ったものの、その上の岩場でかなり危ない転び方をしてしまう。後ろに居た私が体を抱きかかえたので岩への直撃は避けられたが、居なかったら肩か頭を岩にぶつけて怪我をしていたであろう。
雨と強風の中でなんとか撮影したタカネマンテマ
偶然シャッターを切った1カット。真っ白で何も見えない。
もはや重い荷物を持って歩かせるのは困難であろう。完全に足元がおぼつかず、真直ぐに歩くことが出来ない。ザックをデポして空身で歩くことにする。低体温症が始まってしまっている。ビバークシートを取り外し、代わりに私のカッパを着せ、私がビバークシートを纏って進む。しかし、この状態で悪天候の中を北岳肩の小屋まで連れて行くことは困難である。なんとかトラバース道分岐のところまで腕を抱えながら連れて行き、稜線裏側にあるスペースにテントを張ってビバークすることにした。私自身もびしょ濡れになってしまったが、なんとかテントの設置が出来て休憩する。
テントの中でバーナーを焚いて暖をとろうとしたのだが、着火しない。着火装置が雨に濡れたことと気温が低くてガスの気化が悪かったことが重なったようである。いろいろといじってみて、20分後くらいにやっと着火することが出来た。同行者は疲れと低体温症が重なって横になって眠りについていた。もし目が覚めなかったら・・・という不安もあったのだが、バーナーに火が着いて暖がとれるようになったのでその心配は無いであろう。同行者は30分ほど眠って目を覚ました。顔色も少し良くなっていた。
さて、休めば登れるのだろうか?相変わらず強風が吹き荒れている。とても連れて行く自信は無い。時刻はまだ午前10時半であるが、天候が回復するのは明日の朝であろう。このままビバークするには食料が足りないしシュラフも1つしか無い。デポしたザックをとりに行かなければならないだろう。どうすれば生きて帰れるのか、そのことしか頭の中には無かった。今後どうするかをいろいろと考えていると、テントの中を覗き込んでくる人がやって来た。北岳肩の小屋の小屋番さんである。私がテントを張っている時に横を通り過ぎていった登山者が小屋に連絡してくれたようである。私たちの状況を見て、すぐに山岳救助隊に連絡してくれた。そして20~30分後に北岳山荘から救助隊がやって来た。だいぶ休んだので同行者は自力で歩けるのではないかと思ったのだが、やはりフラフラの状態でとても歩けるような状態ではなく、救助隊員の背中に背負われて安全な場所まで下ろしてもらうこととなった。
私も膝の痛みや足の疲れがあったのだが、そんなことはすっかり忘れてしまうほどに生きて帰ることに必死だった。強風の中をなんとか北岳山荘まで下りて、事なきを得た。
遭難した私たちが悪いのであるが、北岳山荘はこのような遭難者を暖かく迎え入れてくれた。ストーブを焚き部屋を暖かくしてくれて布団も用意してくれた。そして食事まで提供してくれた。その食事が、涙が出るほどにおいしかったことは忘れることが無いであろう。濡れた服はストーブで乾かして、夜8時には眠りについた。さて、明日は無事に下山できるであろうか?