後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

この世の七不思議(2)風上に向かって帆走するヨットと空に浮かぶ飛行機

2012年07月10日 | 日記・エッセイ・コラム

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上にあるヨットの写真は小生が風上45度の方向へ登っている様子を家内が岸壁から撮った写真です。

その下は空に浮かんで飛んでいる大きなジェット旅客機です。先月、北海度の函館へ行った時乗った飛行機と同じ型です。写真はWikipedeaの「ジャンボ機」の項目からお借りしました。

その下は機内の様子です。函館まで飛んだ時、自分で撮った写真です。お客が500人くらいも乗っていました。

何故ヨットは風上45度の方向までなら、風に逆らって登って行けるのでしょうか?

何故、あんなに巨大で重い旅客機が空に浮かぶ事が出来るのでしょうか?

私には不思議で仕方がありません。何度その理由を聞いても理解出来ないのです。実感として理解出来ません。

私は26年間、趣味でヨットをしていました。確かに風上に向かって45度までは登れるのです。時々船首の方向を左右に変えれば、ジグザクとした形にはなりますが、風に向かって真っ直ぐ登って行けるのです。

毎回、その不思議さに感動していました。

同じように飛行機に乗る度に本当に飛べるのか心配になります。

しかし何十トンも重い金属性の物体が間違いなく離陸するのです。その度にその不思議さに感動します。

どちらも同じ原理で風に向かって前進したり、空に舞い上がると説明されています。

実感として私は理解出来ませんが、その説明を以下にご紹介しておきます。

皆様はベルヌイーイの定理というものを学校で習います。

「早く流れる空気は遅く流れている空気より気圧が低い」という現象を一般化し、空気を流体と置き換えて表現します。

簡単な実験で証明出来ます。

模型の飛行機を作ります。羽根の断面の上面を曲面にして、下面を平らにします。その模型飛行機を前後に動かないように垂直な長い釘で3ケ所くらいを止めておきます。この時、釘でとめる穴は大きめにして模型飛行機はスルスルと上下には動けるようにしておきます。

その飛行機へ向かって前のほうから風を送ってやります。風を次第に強くして行くと模型飛行機は浮きあがり始めます。

風をもっと強くすると長い釘の一番上まで揚がって止まります。中空に浮いているのです。

この模型による実験は所沢の航空記念公園の展示館で何度も見たことがあります。

さて風を送る代わりに、飛行機自身がプロペラを回して前進すれば同じ原理で浮き上がります。プロペラをジェットエンジンにしても同じことです。

ですから飛行機は前進することによって空に浮き上がるのです。前進する速度が大きいほど浮き上がる力が大きくなります。ジェットエンジンの出力が大きいほど多量の荷物と客が積めるのです。

この飛行機の羽根の形をヨットの帆で作ります。

ヨットでは飛行機の羽根を半分に折って、立てたような形にして使います。マストのてっぺんが羽根の先端です。前の帆と後ろの帆の2枚です。

その帆の形を丸みを持った形にします。

そうすると外側は空気の流速が大きいので、外側に吸いつけられるのです。

ですから風の来る方向に対して45度までは登れます。45度以上風上に向けると、今度は風の力で後に押し戻されます。そのギリギリの境目が45度なのです。

これはいろいろな形の帆を作って、数多くの実験で得た経験則なのです。

この境界の角度は帆の形と船の形によって決まります。大体、遊び用のヨットは45度まで登れますが、大型帆船は50度から60度くらいまでしか登れません。

説明している本人が理解していないので、お読みになっても分からないかもしれません。

世の中には自分が理解出来ない癖に偉そうに説明したり、説教する人が多いものです。私もその一人と白状しますので、お許し下さい。(続く)


今年も咲きます小金井、真蔵院の蓮の花

2012年07月10日 | 写真

毎年、7月になると真蔵院へ行き、蓮の花の写真を撮ってきます。

すると梅雨が明けて夏がやって来ます。私の心の中の季節の風物詩です。

今年も夏が来ると、しみじみ時の流れを考えています。009

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私の悩み事3題・・・うなぎの蒲焼、夫婦関係、靖国神社

2012年07月10日 | 日記・エッセイ・コラム

人間はいつも矛盾を抱えて生きているものです。白黒はっきり出来ないのです。好きか嫌いかはっきりしていないのです。愛しているか憎んでいるのか分かりません。ましてや思想とかイデオロギーに関連したことは賛成か反対か明快に答えられないのです。その実例を3つ書いてみます。最近の私の悩み事です。うなぎの蒲焼、夫婦関係、靖国神社についてです。

@うなぎの蒲焼

今年はウナギの値段が急騰して手が届きません。家内と今年はウナギを食べないで夏を過ごそうと固く約束しました。

ところが先日銀座をぶらぶらしていたらウナギの老舗から良い匂いがして来ました。フラフラと近ずいて値段を見ました。あまり高くない値札がついています。持ち帰りのうな重を買って、家に帰り、家内と一緒に食べました。

あまりにもひどいうな重です。小さい蒲焼が一枚心細げに載っています。食べたらその味が不味いのです。パサパサしていてうなぎの味がしないのです。しかしご飯だけは滅法美味しいのです。すっかりガッカリして、うなぎが嫌いになってしまいました。

ところが車であちこちドライブしていると吉野家と「すき家」の前に、うなぎ丼と書いたノボリが沢山出ています。値段も驚くほど安いのです。

銀座の老舗の不味いうなぎを買って来て家内に面目をつぶしました。口ではありがとうとやさしく言っていますが、少し軽蔑している様子です。

そこでまず「すき家」のうな丼を買って来て家内と食べました。美味です。こうなると吉野家のも味を見たくなります。そうしたら、もっと美味でした。

皆様にも好き嫌いがあるでしょうから、両方食べて見て下さい。蒲焼が少し小さめなことを抜きにすれば美味しいうな丼です。

恰好よい言葉で言えば、どちらもそのコスト・パフォーマンスの良さで感激しました。吉野家偉い!すき家努力している!感動ものです。

そんなわけで今年の土用の丑の日はこの2軒のうなぎで過ごします。下に写真を示します。

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Photo_unagi_9001001 上の2つは吉野家のうな丼です。左が650円、右が980円です。

左は「すき家」のうな丼です。780円です。

これにうなぎをもう一枚加えた特盛りは1180円です。

兎に角、本当にうなぎの味がします。ご飯も美味しい米を使っています。

2つの店の努力に敬意を感じました。

@夫婦関係

若くても年をとっても夫婦関係は微妙で、危険なものです。愛し合っているから余計問題が複雑になります。

その諸々の問題を書きだしたらキリがありません。そこで今日は老年期特有の問題を一つだけ書きます。

それは私の声がしゃがれてきて発音が明瞭でなくなったことです。その上に年を取るにしたがって幼少の頃の仙台弁が一層強くなってきたのです。

その事が夫婦喧嘩の原因になります。はっきり正しい発音でものをおっしゃってと家内が言います。なにせ東京育ちなのではっきりものをいうのです。

そこで東京言葉と地方の言葉には優劣が無いと私が比較文化論を堂々とくり広げるのです。相手は聞いていません。そして「せめてアクセントだけでも正しければ理解できます」と言います。喧嘩は私の負けです。口惜しいです。家内の耳も悪くなっているのです。

ところであなたの夫婦喧嘩の原因に「言葉の違い」は御座いませんか?無ければ幸せなご夫婦です。

@靖国神社問題

戦死した方々の霊を慰めているのが靖国神社です。その事を深く感謝している遺族からみると靖国神社は善い存在です。

しかし無理やり赤紙で召集され、食料の補給もなく南海の島で餓死し、遺骨も帰ってこなかった遺族にとっては靖国神社を素直に「善い存在」と思えるでしょうか?

靖国神社の善し悪しは、やはり直接的な関係のある遺族のお気持を大切にするべきではないでしょうか?

あまり関係の無い政治家や団体が自分のために利用するのは尊敬出来ません。

話は変わりますが、明治天皇を祀った明治神宮があります。東郷神社もありますし乃木神社もあります。国の為に戦って死んだ人々は皆等しく神様になるのです。

ですから靖国神社は戦死した日本人全てが等しく神様になって祀られているのです。

これは日本民族の宗教観です。やさしい考え方です。多くの遺族は慰められます。

ことしも英霊を呼びよせて、なぐさめる「みたままつり」が近づいて来ました。

しかし私は二つの疑問を持ちつづけています。

希望しない人は祀るのは止めた方が良いと信じています。それは欧米流の個人の尊重の考え方にもとづいた思想です。

もう一つは戦争で死んだ敵国の戦死者の霊も慰める慰霊碑もあった方が良いと思っています。現実にはすでに存在しているが私が見落としているのかも知れません。

この2つの問題はどうしても私の心に残ります。私は矛盾していますでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)