後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

今日は旧甲州街道の小仏峠まで登って来ました

2012年07月13日 | 写真

平らな公園をいくら歩いても足が強くならないようです。次第に脚力が弱くなるので、今日はほんの少しの登山をして来ました。

旧甲州街道を車で入れるところまで登って、そこの駐車場に置いて、登ります。

小仏峠までは杉林の中をジグザグに登ります。急坂です。今年初めての大汗をかきました。

数多くのウグイスが鳴いています。ホーホケキョ、と谷渡りのケキョ、ケキョ、ケキョという美しい声が交互に木霊しています。

40分で小仏峠に着きました。向こうのほうは相模湖です。小原宿に続く甲州街道が斜めに下っています。

峠の上の広場を散策していたら、甲府に行幸した明治天皇が此処で一休みしたと刻んだ石碑があります。甲武鉄道が甲府まで開通するまでは、この小仏峠を越す甲州街道がだだ一つの交通路だったのです。それにしても狭い悪路です。こんな道が甲州街道だったとは江戸時代の道の貧弱さに胸がつまります。

写真を撮ろうとしたら電池を入れ忘れています。老人ボケです。

下に昨年の5月に撮った写真をお送りいたします。

小仏関所は峠の江戸よりにあります。・・・八王子宿ー駒木野宿ー小仏関所ー小原宿・・・へと続きます。

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日本民族の戦争を考える(4)いろいろな戦争犠牲者と被害者の鎮魂のために

2012年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム

夏になり、お盆が近づいて来ました。先日、靖国神社の「みたままつり」に関する記事を掲載してから戦争の犠牲者をいろいろな角度から考えています。

戦争の犠牲者や被害者は本当にいろいろです。

前線で戦闘中に戦死した人。

戦地の食料難で餓死した人。

特攻隊として戦闘機や魚雷艇に乗って敵へ突っ込んで行った人。

輸送船や軍艦がアメリカの潜水艦の魚雷でやられて死んだ人。

戦地で亡くなった従軍看護婦たち。

沖縄ひめゆりの塔の女学生達。健児の塔の旧制中学生達。

樺太で最後まで職務を遂行した電話交換手の乙女たち。

戦地で負傷した多くの人々。

内地や外地での空襲で家を焼かれ、焼け死んだ人。

学童疎開で飢餓を経験した人。

B、C、A級戦争犯罪裁判で処刑された人。

そして復員はして来たけれど人格破壊で家庭崩壊をしてしまった人。

職業につき一見平穏に暮らしたが心の中は死んだ戦友のことで何時も不幸だった人。

そして戦争で人格破壊した夫を持った妻の悲惨な一生。家族の苦悩。

自棄になった復員兵の犯罪の犠牲になった人。

戦争の被害者は数限りありません。

そして敗戦以来、茫々62年。戦争の犠牲者やいろいろな被害者も多くは旅立って行きました。

全ての戦争の犠牲者と被害者の鎮魂を祈る夏が近づいて来ました。

祈りましょう。全ての犠牲者と被害者の冥福を。

お釈迦様の慈悲が豊かにありますように。そして出征して行った村村の鎮守の森で。神社で。そして教会で。神の慈しみがありますように。

戦争は人間を悪魔にします。人格を破壊します。お寺も教会も焼き尽くしました。

欧州でも数多くの教会が徹底的に爆撃されたのです。ユダヤ人の大殺戮もありました。戦争は人間を本当に悪魔にします

二度と戦争を起こさないように祈りましょう。

そしてあなたにとって可能なら、敵国の戦争犠牲者と被害者のためにも鎮魂を祈りましょう。

これで、「日本民族の戦争を考える」という題の連載記事の終りと致します。

全ての戦争犠牲者、被害者を少しでも慰めようと下の4枚の写真をお供えします。

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大きな樹木の写真は小生が撮ったものです。あとの3枚は江島達也さんの許可を貰って彼のブログからお借りしました。出典は、http://hayabusa-3.dreamlog.jp/ です。