26年間、ヨットを趣味にしていました。昨年の秋、ヨットを売って、キチンと幕を引きました。
この26年間、他のモーターボートやヨットの構造も見て、観察して来ました。出港した後の走りや性能をいろいろ考えて楽しむためです。持ち主が居たら、丁寧に挨拶をしてエンジンや船室の内部を見せていただきます。
しかし、とても心が痛むこともあります。それは持ち主が長い間来ない船が多いことです。ヨットやモーターボートに憧れて購入したのですが、数回乗っただけで、すぐに飽きてしまったのです。一旦始めた趣味を続ける根気が無いのです。係留地を大切にしようという気持ちもありません。一度は愛した自分の船に対して節操もないのです。
三浦半島のヨットやモーターボートの係留地を見るのが好きで、今でも時々行っています。しかし多くの船が長い間、放置されたままです。そのような船は係留ロープがキチンとしていないのですぐに分かります。
有料の係留地にある船はまだ良いのです。管理者が係留ロープだけは緩んでも切れないようにしています。船が沈まないように注意しています。
しかしもっと悪いのは川岸や海岸に無断で係留している船が、放置艇になった場合です。
行政官庁が撤去する法律が曖昧な上に、撤去の予算が無いのです。
下に示した写真には20年以上、放置されたままになっているモーターボートとヨットが写っています。
豪華なモーターボート1隻の回りに5本のマストが見えます。5隻のキャビン付きのヨットが係留されています。
この風景が、なんとなくロマンチックなので、20年ほど前に、そばまで行って見ました。
ところが、そこには驚くべき光景があったのです。ホームレス達が住み着いていたのです。船の中には料理台もコンロも流しもあり、住むには便利です。特に大きなモーターボートには客室と料理場と寝室が別々にあって具合が良さそうです。
あまり熱心に覗き込むのも失礼なので早々に退散して来ました。
このような持ち主の分からない放置艇が全国に22万隻あるという報告書もあります。国土交通省の平成18年度の調査報告書です。
人間の心変わりの早さ・・・飽き易さ、根気の無さ、節操の無さを示している光景です。心が暗くなります。
何故、このように放置艇が多いのでしょうか?理由は3つほど考えられます。
(1)ヨットやモーターボートのロマンチックな絵画や写真を見て、安易な気持ちで買ってしまう人が多いのです。
特に水着の美人が船の上に立っている宣伝写真が多いのです。このような写真は冗談です。女性は原則として船が好きではありません。恋人や家内が浮世の義理で、たまに来てくれるだけです。絶対に来ない奥さんが大部分です。それが普通です。
(2)中古のヨットやモーターボートは数十万円です。働いている中年の人には気軽に買える値段です。ところがマリーナや漁港の年間係留料が高いのです。100万円以上のところが沢山あります。
そこで無料の川岸や海岸に留めます。しかしそういう場所は台風や大雨になると船が流されてしまうのです。
次第に興味がなくなり、船へは行かなくなります。そして上の写真の船のようにホームレスの住む家になってしまいます。
(3)日本には船を趣味として楽しむという文化が無かったのです。それには根気と責任が必要だという厳しさがある文化なのです。その伝統が無いのです。
日本では昔から船は魚をとるか、荷物やお客を運ぶためにだけ使用して来ました。船はお金を稼ぐ道具です。
船そのものを遊びの対象にする文化が無かったのです。
勿論、川下りの船や屋形船は遊びの船です。しかしそれは景色を楽しんだり、船上で花や月を眺めながらお酒を楽しんだのです。
船そのものの構造をいろいろ変えて、その走り方を楽しむ趣味は欧米の文化だったのです。根気と自己責任が要求される趣味なのです。
放置艇は欧米の文化に深く根ざした「船の趣味」を安易に輸入した証拠です。伝統文化でないので経済事情でされます。バブル経済のころはヨットもモーターボートも急増しました。不景気になると途端に減少するのです、
さて話は変わりますが、このような事は趣味の世界だけに限りません。
明治維新以来輸入した欧米の科学と技術のいろいろな分野や場面に見られることです。
しかし日本人は根気良く修正をして来ました。根気良く改良改善をして来ました。そして有数の工業国になったのです。経済も発展したのです。
放置艇も次第に処分されるようになって来ました。もう十年もすると日本の川岸や海岸から目障りな放置艇が消えてしまうと思っています。日本はもっと、もっと住み良い国になると信じています。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)