昨日、北杜市の甲斐駒岳の麓の小屋まで行ってきました。小屋の東にある真原という高台で夏の花々の写真を撮って来ました。
高台にある民宿の星山荘の人が花好きで、大きな花畑にいろいろな花を植えています。毎年、四季折々そこへ行っては、花の写真を撮らせて貰っています。星山荘には何回も泊りました。当時は黒毛和牛を飼育していて、夕食のスキヤキが美味でした。小さかった息子さんも中年になり、都会に住んでいて、子供もいるそうです。
上の4枚はそこで撮らせてもらった花です。
最後のヤマユリの花は石原さんに挨拶して、撮らせて頂いたものです。乳牛を沢山飼っていましたが先年それを止めて、大きな家を新築し夫婦で悠々と老後を楽しんでいます。牛乳や搗きたてのなまこ餅を頂いたりして随分とお世話になりました。石原さんの亡くなってしまったおじいさん、おばあさんにも優しくして頂きました。
全ては遠い昔になったものだと思いながら花々の写真を撮ってきました。
写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。
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戦争と平和のことを考える時いつも参考にしているものがあります。
「我が家のホームページ」という資料です。http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TRY4.HTM です。
ある一家のご主人と奥さんと息子さん、娘さんの4人が協力しあって作っているホームページです。
その中の一項目に、第二次世界大戦やその他の大きな戦争の犠牲者に関する資料を広い視点で公平に調査し、公開しているページがあります。
政治的な思想やイデオロギーに関係なく健全な一市民として客観的に戦争被害者について調べています。収集した統計資料と文章が過不足なく提示されています。ああ、こんなにも健全で、良い家庭があるのだと感心もしています。
ところで昨日、第二次世界大戦後のシベリア抑留は何故起きたか? という題目の記事を掲載しました。そうしたら私が尊敬しているyuyuさんという方から次のようなコメントを頂きました。
=====投稿 yuyu | 2012/07/15 07:41 ========
日本のドイツとの枢軸同盟のお陰で多数のロシア人が殺されたとロシア人は思っているでしょう。
しかし、我々日本人の何割かは、日本と友好条約を結んでいたロシヤが裏切って、領土欲しさに参戦、満州からと北方から侵入したと思っています。
ドイツがロシヤに攻め込んだとき、日本がシベリヤから攻撃をすれば現在のロシヤは存在しなかったとの説を聞いたことがあります。
満州で大好きな叔母と幼い従弟をロシヤ侵攻で亡くした私にとってはロシヤは今尚敵国です。
=============終り===========
戦後67年ですが、現在でもこのように考えていらっしゃる家族や親戚の方々が全国に沢山いらっしゃると思います。
そこで何時ものように「我が家のホームページ」という資料を見ました。そこには、以下のように書いてあります。
遠く故国から離れた満州で亡くなられた方々のご冥福をお祈りしながら、以下に転載させて頂きます。
====「第二次世界大戦等の戦争犠牲者数」というHPより===
満州開拓民等の敗戦に基づく死亡者数
全 体 開拓民 非開拓民
終戦時在満邦人数 1,550,000人 270,000人 1,280,000人
敗戦後一般邦人の死亡者数 176,000人 78,500人 97,500人
何人に一人が死亡したか 8.81人 3.44人 13.13人
死亡指数(非開拓民比) 1.49 3.82 1.00