後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

楽しい夏まつりの季節がやって来ました

2012年07月23日 | 写真

東京都の大部分の小学校や中学校は先週の末から楽しい夏休みになりました。

あちこちの商店街では地域毎に子供が喜ぶ夏まつりをします。

私の家の裏にある京王ストア通りでも、ささやかな夏まつりをします。

子供が小さかった頃は皆浴衣を着て必ず行きました。孫とも行きました。でももう皆親離れして家族とは一緒に行きません。

しかし私達は老夫婦になっても毎年行きます。近所にこんなにも大勢子供達がいることを眺めて、何故か安心するのです。いつもは昼間、買物に行くので会うのは老人ばかりで困ったものだと思っています。

昨日は多くの子供を見て、久しぶりに楽しい思いをしました。

写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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都立小平霊園の樹林葬墓地を取材して来ました

2012年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

Sankotutyousa11左は ある調査による東京都民の散骨希望者の分布図です。25%以上の人が散骨を希望しています。

東京都では毎年ほぼ10万人が死亡していますから、そのうち25000人位の人が散骨を希望しています。

散骨は残された家族が行わねば実行が不可能です。遺族は心情的に父母の遺骨を海や山へ散骨することに抵抗感もあるので毎年25000人の自然葬が実施されている訳ではありません。

しかしそれにしても予想以上の希望者がいるのです。

この事実を受けて、先程、都立小平霊園の管理事務所を訪問し、樹林墓地の実態について取材して来ました。今年3月に10700体の遺灰を埋蔵可能な樹林墓地が完成し、今年は試しに、500人の募集をしました。それに対して5000人の希望者があったそうです。

平成26年からは本格的に多数の募集をする予定だそうです。

費用は粉状の遺骨で持ち込めば44000円です。纏めて44000円支払えば、以後一切の費用は不要です。粉状でない普通の遺骨の状態で持ちこめば134000円です。

遺骨を粉状にするには火葬場に頼むとしてくれるそうです。設備が無くて粉状に出来ない火葬場もあるので、あらかじめ相談の上火葬を頼むことが肝要だそうです。

遺灰は水に溶ける紙製の容器に入れ、何個か纏めて樹林に囲まれた芝生の中に埋めるそうです。30年間そのままにして土中へ自然に混合するのを待ちます。30年後に残った遺灰はまとめて共同埋蔵します。

埋葬後、故人へ花や線香を供えるための献花台は用意するそうです。

昨日、海へ散骨する場合の相談に乗ってくれる団体の情報をご紹介しました:それは、1990年頃から始まった日本の伝統文化の変革期(1)自然葬に関する現在の法律解釈 です。

今日は大規模な陸上の樹林葬墓地をご案内致しました。

下にさきほど撮って来た都立小平霊園の樹林墓地の写真を示します。

以上は東京都の場合ですが、全国の市町村役場で管理している墓地や、お寺が管理している墓地でも急速に樹林葬墓地が普及していると想像できます。海への散骨も良いですが、陸上も考えてみるのも良いと信じています。

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上は樹林墓地の入り口の門から撮った写真です。下はその中の一段高くなった芝生を示しています。粉状の遺灰は水に溶ける紙の容器に入れ、この芝生のしたに埋葬します。

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詳しくは管理お事務所、電話:042-341-0050へお聞き下さい。


1990年頃から始まった日本の伝統文化の変革期(2)高見山、小錦、曙、武蔵丸以来の外人力士の活躍

2012年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

Sumoakebono1 1990年前後のバブル経済の崩壊から以後を「伝統文化の変革期」と私は定義したいと思います。それは江戸時代から明治、大正、昭和と続いた日本人の伝統的な価値観や民族特有の文化がどんどん変化している時期だからです。

いろいろな新しい社会現象が起きています。

前回の記事ではその一例として「自然葬の普及」について考えてみました。

連載第第二回の今日の記事では外国人力士の活躍の歴史を概観したいと思います。

トンガ勢に始まり、ハワイからの高見山、小錦、曙、武蔵丸と大物力士が続いた時代が1990年代初頭にありました。特に1992年に曙が横綱になり、続いて武蔵丸も横綱になったのです。これは相撲の歴史のなかで画期的な出来事でした。

本来、相撲は神社の境内で神へ奉納する神事として始まりました。しめ縄を張った土俵で、四股を踏むのは神事です。弓取り式も伝統的な神事です。

その日本の伝統文化の相撲へ外国人が参入し、活躍しているのです。

この相撲の歴史の中の革新的現象こそ、1990年頃のバブル経済の崩壊による日本の社会心理の大きな変化に深く関係していると思います。

それに拍車をかけたのが1991年のソ連の崩壊です。経済が厳しい東欧圏やモンゴルから日本へ多数の出稼ぎ人が来るようになったのです。出稼ぎ人は肉体労働に限らずいろいろな職能分野にわたっています。

相撲もその一部なのです。

経済が厳しい国の人々は伝統的な相撲部屋の辛いシゴキにも耐え、見事に小結、関脇、大関、横綱へと昇進して行ったのです。

日本人力士の弱体化を恐れた日本相撲協会は外人力士を一つの部屋で1人と規制します。当時は54部屋あったのですぐに数多くの外人力士が出来ます。

その上、外国人力士が日本国籍をとれば、この1部屋1人の規制を逃れることが出来たのです。そのようにして外国出身の力士が何人もいる部屋が出てきたのです。

そこで日本相撲協会は国籍を問わず、外国出身の力士を1部屋1人と規制を厳しくしました。

現在は57部屋ありますが46人の外国出身の力士が活躍しているのです。特に多いのはモンゴルで、横綱、大関、関脇、小結はみんなモンゴル人によって占められる時代が来る恐れもあるのです。

日本の伝統文化の国際化と言ってしまえばそれまでですが、はたしてそれで良いのでしょうか?

柔道もそのようになってから久しいのです。

次はスポーツに限らず、外国人が日本画の師匠になったり、茶道の家元になったりするかも知れません。

伝統文化も時の流れとともに少しずつ変化するのです。特に変革期に大きな変化が起きます。

バブル経済の崩壊は日本文化の荷ない手は日本人だけに限るという狭量性から人々を自由にしたのです。これも社会心理の変化の一つと考えられます。

この世に変化しないものは無いというお釈迦様の教えを思い出しながら、何故か淋しい思いをしています。複雑な思いです。

それはそれとして、以下に外国人力士に関する一覧表を示します。

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下はイタリアのミラノに住んで、働いて居るtomanさんの ブログ

http://ameblo.jp/tomamx/entry-11144489937.html から引用させて頂きました

日本相撲協会の公式サイトの、2012年の一月場所番付表から、外国人力士を抽出したものです。http://sumo.goo.ne.jp/hon_basho/banzuke/index.html
階級ごとにまとめると。
【幕内】 15人(42人中。36%)
白鵬 翔 モンゴル / 宮城野
把瑠都 凱斗 エストニア / 尾上
琴欧洲 勝紀 ブルガリア / 佐渡ヶ嶽
日馬富士 公平 モンゴル / 伊勢ヶ濱
鶴竜 力三郎 モンゴル / 井筒
旭天鵬 勝 モンゴル / 大島
阿覧 欧虎 ロシア / 三保ヶ関
碧山 亘右 ブルガリア / 田子ノ浦
栃ノ心 剛 グルジア / 春日野
時天空 慶晃 モンゴル / 時津風
臥牙丸 勝 グルジア / 北の湖
隆の山 俊太郎 チェコ / 鳴戸
朝赤龍 太郎 モンゴル / 高砂
旭秀鵬 滉規 モンゴル / 大島
魁聖 一郎 ブラジル / 友綱

【十両】 5人(28人中。18%)
玉鷲 一朗 モンゴル / 片男波
黒海 太 グルジア / 追手風
翔天狼 大士 モンゴル / 藤島
阿夢露 光大 ロシア / 阿武松
城ノ龍 康允 モンゴル / 境川
【幕下】 16人(120人中。13%)
荒鷲 あらわし モンゴル 花籠
千昇 せんしょう モンゴル 式秀
東龍 あずまりゅう モンゴル 玉ノ井
鏡桜 かがみおう モンゴル 鏡山
竜王浪 りゅうおうなみ モンゴル 立浪
鬼嵐 おにあらし モンゴル 朝日山
貴ノ岩 たかのいわ モンゴル 貴乃花
龍皇 りゅうおう モンゴル 宮城野
魁 さきがけ モンゴル 放駒
風斧山 かざふざん カザフスタン 錦戸
青狼 せいろう モンゴル 錣山
仲の国 なかのくに 中国 湊
舛東欧 ますとうおう ハンガリー 千賀ノ浦
荒闘司 あらとうし モンゴル 入間川
若三勝 わかみしょう モンゴル 間垣
大河 たいが モンゴル 式秀
【三段目】 9人(200人中。4.5%)
透川 とおるがわ モンゴル 峰崎
大露羅 おおろら ロシア 北の湖
保志桜 ほしざくら モンゴル 八角
高世 こうせい 中国 東関
大鷹浪 だいおうなみ モンゴル 立浪
千代翔馬 ちよしょうま モンゴル 九重
龍帝 りゅうてい 中国 二所ノ関
華瀬川 はなせがわ 中国 朝日山
魁心 かいしん ブラジル 友綱
【序二段】 1人(202人中。0.50%)
高春日 たかかすが モンゴル 春日山
【序の口】 0人(33人中。0%)
全部で46人。見事に上の階級ほど外国人力士の比率が高いです。
幕内では、3人に1人以上が外国人となっています。多く感じるはずです。

これを国別にまとめると次のようになります。
■モンゴル 28人
【幕内】 白鵬 日馬富士 鶴竜 旭天鵬 時天空 朝赤龍 旭秀鵬
【十両】  玉鷲 翔天狼 城ノ龍
【幕下】  荒鷲 千昇 東龍 鏡桜 竜王浪 鬼嵐 貴ノ岩 龍皇 魁 青狼 荒闘司 若三勝 大河
【三段目】 透川 保志桜 大鷹浪 千代翔馬
【序二段】 高春日
■中国 4人
【幕下】 仲の国
【三段目】 高世 龍帝 華瀬川
■グルジア 3人
【幕内】 栃ノ心 臥牙丸
【十両】 黒海
■ロシア 3人
【幕内】 阿覧
【十両】 阿夢露
【三段目】 大露羅
■ブルガリア 2人
【幕内】 琴欧洲 碧山
■ブラジル 2人
【幕内】 魁聖
【三段目】 魁心
■エストニア 1人
【幕内】 把瑠都
■チェコ 1人
【幕内】 隆の山
■カザフスタン 1人
【幕下】 風斧山
■ハンガリー 1人
【幕下】 舛東欧
モンゴル人力士が外国人力士全体の61%を占めています。
次に多いのが意外にも中国で、4人いますが、全員が幕下以下なので目立ちません。
幕内に2人いるのが、グルジアとブルガリアです。=========終り=============

歴代横綱一覧表:出典:http://ouenbu.com/sumo/yokoduna.html

明 石 不 明
 2 綾 川 不 明
 3 丸 山 宮城県 七ツ森 不 明
 4 谷 風 福島県 伊勢ノ海 1789年11月 39歳 1795年 1月 44歳 10場所
 5 小野川 滋賀県 小野川 1789年11月 30歳 1797年10月 38歳 10場所
 6 阿武松 石川県 武 隈 1828年 3月 37歳 1835年10月 44歳 16場所
 7 稲 妻 茨城県 佐渡ヶ嶽 1829年 9月 28歳 1839年11月 37歳 16場所
 8 Ⅰ不知火 熊本県 浦 風 1840年11月 39歳 1844年 1月 42歳  8場所
 9 秀ノ山 宮城県 秀ノ山 1845年 9月 37歳 1850年 3月 42歳 10場所
10 雲 龍 福岡県 追手風 1861年10月 38歳 1865年 2月 41歳  8場所
11 Ⅱ不知火 熊本県 境 川 1863年11月 38歳 1869年11月 44歳 13場所
12 陣 幕 島根県 秀ノ山 1867年 4月 38歳 1867年11月 38歳  2場所
13 鬼面山 岐阜県 武 隈 1869年 3月 42歳 1870年11月 44歳  4場所
14 境 川 千葉県 境 川 1876年12月 35歳 1881年 1月 39歳  9場所
15 Ⅰ梅ヶ谷 福岡県 玉 垣 1884年 5月 39歳 1885年 5月 40歳

日馬富士3回目の優勝を全勝で飾る!・・・そしてモンゴル人力士一覧

2012年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

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(写真の出典:デイリースポーツインターネット版)

昨日、名古屋場所で日馬富士3回目の優勝を全勝で飾りました。

日馬富士に寄りきられる白鵬を見て、彼の強さの衰えを感じた人も多かったと思います。淋しいですね。

しかし日馬富士の小柄な体つきと機敏な技にはいつも感動します。今場所は取りこぼしもせず全勝優勝です。これで次回の場所で優勝すれば横綱になれると、大いに期待しています。

一方、白鵬は人格、力量の両方が備わった大横綱です。力量がたとえ峠を越したとしてもまだまだ横綱を続けられます。これで白鵬と日馬富士の二横綱体制が出来るのでしょうか?そうなることを祈っています。それにしてもモンゴル人力士の活躍には驚きます。

しかし、琴奨菊と稀勢の里にも是非、横綱になって日本の名誉も守って貰いたいと思います

モンゴル人力士は現在、総数28人もいるそうですから、上位力士はそのうち全てモンゴル人になるかも知れません。若乃花と貴乃花の両横綱引退後はすべてモンゴル人横綱になってしまったのです。

下に現在のモンゴル人力士の一覧表を示します。

続編では1992年の曙の横綱昇進以来の外国人力士の隆盛の歴史を纏めてみます。

@モンゴル 28
幕内: 白鵬 日馬富士  鶴竜  旭天鵬  時天空  朝赤龍  旭秀鵬
十両:  玉鷲  翔天狼  城ノ龍
幕下:  荒鷲  千昇