後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

毎年、蓮の花咲く小金井、真蔵院

2012年07月21日 | 写真

真蔵院は蓮の花を公開し、一般の人々の来訪を歓迎しています。門前に駐車場もあります。毎年、感謝しながら写真を撮ってきます。ほんの少し。お釈迦様のお慈悲を頂いたような気分になります。

今日が今年の蓮の花の終りになりそうです。多くの花が散っていました。

写真をお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

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葉山沖で散骨したある遺族の感謝の手紙

2012年07月21日 | 日記・エッセイ・コラム

小生はヨットが趣味で葉山沖では何度もセイリングをしました。

自然葬をした遺族の感想文は沢山公開されていますが、ヨットの上から散骨したケースの一例を下に示します。

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風という会社:http://sankotsu-kaze.com/about/index.html のお客様の声のページの公開してあるある遺族からのお手紙です。

出典はhttp://sankotsu-kaze.com/diary_backnum/2012/05.html#120503 です。

===4月15日 葉山沖にて散骨をされたYさんよりお手紙を頂きました======

今年の桜、十二分に堪能なさいましたでしょうか。
染井吉野は北に去りつつありますが、これからは八重桜の出番でございます。
初めておめにかかった日から本日迄、沢山のお気遣いを頂き無事に二十年目のけじめをつけることが叶いました。
人それぞれの思いは異なりましょうが、亡夫は健康に暮らしている時から、もし私より先に逝くとしたら大好きだった “ 海 ” に還して欲しいと言っておりました。
二十年前は “ 散骨 ” は市民権を得ておらず役所で聞いたり致しましたら「節度をもってなら・・・」と言う答えを頂き五分の一ほどの量のお骨と彼の分身であった義眼を城ヶ島沖に還し、前途の時間が経ちました。
人間は何処から来て、いずこに去っていくのか、それを知る人は誰もおりません。
それ故、【縁を結び得た家族間の “ 生 ” の時間を大切にしょう】が持論でございました。
何も持たず何も持てず、只、生ある時間を精いっぱい悔い少なく子等や私に生きた証しを示して呉れた人として残った者の心の中に生き続けていさえすればと。
本日、行き届いた温もりに溢れた時間をお与え頂き、心から厚くおん礼申し上げます。ボキャブラリーの貧しさをこれほど歯痒く思えたことはなかった、と言い訳をしております。
お手を添え導いて下さった時が忘れられません。きっと夫は言ったに違いありません。
「僕の望んでいた型だったよ」と。
お船がUターンして帰路につく時、西の空の薄い日の光の前を二筋の雲の形が夫が旅立った朝の情景にそっくりであったこと不思議に思えました。
二男は仕事の都合で参加出来なかったことを悔んでいましたが、長男、長女、そして孫、私、きっと今日の目にしたことの一つ一つを深く心に刻み忘れられない日となったと話し合いました。
私もやがて終りの日を迎えること、人すべてはそれから逃れることは出来ませんね。
夫と共に歩んだ時間の中で彼から沢山の影響を受け尊敬の念を抱いて来た私にその日が訪れたら船乗りの娘であった私も今日のように夫の還った海に(と、すでに子等には言ってありますが)改めて言い遺したいと考えています。

ご主人様でいらっしゃいますね。おふた方のお人柄そのままお力添えを頂き本当に有難う存じました。
又、初めての場所にどれほど時間がかかるかわからず、早めに着いてしまいました為、山鹿さんには大変お世話になってしまい申し訳なく存じます。私の一人称が多かったにも拘らず嫌なお顔もせずご対応下さいました。よろしくお伝え下さいませ。
もっと多くの方々が海洋葬のことを知って下されば、と思いました。

季節の変り目でございます。どうかお健やかにおすごしを。
長々と書き連ねお許し下さいませ。おん礼に代えて。

Yさんのお嬢さんからもお手紙を頂きました

北田様、スタッフ御一同
先日は素敵なひとときをありがとうございました。
「風」さんのお陰で私共家族、とても和やかに儀式、そして父が他界してからの時間を噛み締める事が出来ました。
また、これからの未来を楽しむ準備が整いました。このようなハガキ一枚では表せない程の感謝の気持ちでいっぱいです!!

ありがとうございました!!


1990年頃から始まった日本の伝統文化の変革期(1)自然葬に関する現在の法律解釈

2012年07月21日 | 日記・エッセイ・コラム

1990年前後のバブル経済の崩壊から後を「伝統文化の変革期」と私は定義したいと思います。それは江戸時代から明治、大正、昭和と続いた日本人の伝統的な価値観や民族特有の文化がどんどん変化している時期だからです。

いろいろな新しい社会現象が起きています。

今日はその一例として「自然葬の普及」について考えてみます。

日本人は遺骨は決められた墓地以外に埋めると、刑法190条により「遺骨遺棄罪」になると思っています。この刑法を支えているのが戦後の昭和23年に出来た「墓地、埋葬等に関する法律」の規定です。

しかし、1991年に「葬送の自由をすすめる会」が神奈川県の相模湾で海への散骨をしたのです。その後、この会は全国に12の支部を作り、会員も12000人になります。

15年後の2006年までに全国で1137回の自然葬を行い、1945人の遺骨を自然へ還しています。現在は毎年100回程の自然葬を行い200人ほどの遺骨を自然へ還しています。

1991年、我が国で初めての海への散骨葬が行われたのは画期的な事でした。そのすぐ後、法務省と厚生省は刑法190条と墓地、埋葬等に関する法律に関して新しい解釈を発表し、「葬送の自由をすすめる会」の葬送は違法ではないという趣旨を公にしたのです。

適切な方法なら海への散骨だけでなく樹林葬や桜葬や山岳などなどへの散骨葬は違法でないという解釈です。

「適切な方法」は具体的に規定していません。

しかし法務省や厚生省の法律への新見解以後、多くの宗教団体や業者が「自然葬」を斡旋し、代行する事業を始めたのです。東京都立小平霊園でも現在、樹木葬のような自然葬の受付をしています。

私は先日以来、「適切な方法」とは具体的にどのような方法か調べてきました。数多くの自然葬実施団体の実行方法を検索してしらべました。

そこで判ったことでは、自然葬では以下のような条件が必要なのです。

(1)火葬にした遺骨は必ず米粒以下の粒子か粉にすること。一見して遺骨と判らないようにし、海水中や土中へ溶けやすい状態にすること。(遺骨はリン酸カルシュームが主成分で水には難溶性です)

(2)海への散骨は海水浴場や湾内の養殖筏の近辺はいけない。沖でも漁場に使われる海域はいけない。風評で魚が売れなくなることへ充分配慮する。

(3)陸上での散骨は土地の所有者の承諾を得ること。自分の所有する山でもキノコや山菜取りの入会権へ充分配慮する。自分の別荘の庭に散骨するのは別荘が他人の手に渡った場合についても充分な配慮をする。(アメリカでその為に不動産価格が下がって裁判になった例がある)

(4)国有林は広大で散骨に適しているが、管理している農水省や国土交通省の明確な見解が発表されていない。NPO葬送の自由を進める会が現在、国有林の散骨葬への解放運動をしている。

僻地の町や村の所有する山林はその役場に願い出ると許可される場合もある。

以上、結論的に言えば他人の迷惑にならないようにすることが「適切な方法」となります。

その具体的な相談に乗ってくれそうないろいろな団体のURLを下にしめします。

自然葬を行っている団体の数例:

風という会社:http://sankotsu-kaze.com/about/index.html

NPO葬送の自由を進める会:http://www.shizensou.net/

家族葬の会:自然葬(海洋葬・里山葬):http://www.npo-kazokusou.net/support/nature.html

7つの海で海洋散骨:http://shizensou.com/

そして下に実際に東京湾と湘南の7つの海域で散骨葬をしている場所の例を写真で示します。昨日掲載した、今日は曇り、後雨の暗い日なので晴天の日の写真をお送りします。の中の3枚の写真とあわせてご覧ください。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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上は東京湾です。下は熱海湾です。

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下は沖の方です。実際に散骨葬に使うモーターボートが写っています。

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写真の出典は、7つの海で海洋散骨:http://shizensou.com/です。