日本は現在、尖閣諸島や竹島や北方4島のことで隣の国々と争っています。
しかし、このように小さな島々の事で何十年も争う事は本当に日本人の利益になるのでしょうか?
双方共に感情的になって無理に上陸したり、排除したりを繰り返しています。
中国の国内で大工場を経営している日本の会社が沢山あるのです。その事も考慮に入れ感情的な争いは止めるべきと信じています。もっと平和的な話し合いで解決するように努力すべきです。
この小さな島々の領有争いは私に日本がアジアで何をして来たか再考させるきっかけになりました。
大東亜戦争の結果、何が起きたか、私は40年前頃に随分と本を読みました。しかし最近は読まなくなったので忘れていました。
老耄のせいでもあり日本がアジア諸国へ与えた甚大な損害をほとんど忘れていたのです。
このブログでよく引用する「我が家のホームページ」にアジア諸国の損害に関する明快な一覧表があるのです。以下に掲載します。
ご存知無い方があるかも知れませんがインドネシア政府は400万人も殺されたと主張しているのです。資源開発の労務者として駆り出され死んだ人が大部分とも言われています。
また仏領インドシナ」(ベトナム、など)では日本軍の過酷な食料徴発と天候不順が重なって200万人が餓死したと言われています。
中国での1000万人は中国兵の戦死者に加えて食料徴発のための農村襲撃の犠牲者や戦争に巻き込まれた民間人も含めた総計です。
朝鮮の20万人は労働者として駆り出され、日本で死んだ者の数も含まれます。
フィリッピンの111万人はマニラ陥落の為の激しい攻防戦とその後の徹底的な掃討作戦によるものです。
インドの150万人は日本軍の進撃が間接的な原因になった食料不足と天候不順が重なったもので、ベンガル飢饉と称するものです。しかしこの150万人は総合計の1900万人から差し引くべきと私は思います。
しかし以下の表ではそれも含めて日本軍の侵略が原因で死んだアジア人の総合計を1900万人としています。
誤解なさらないで下さい。私は日本が悪かったとか正しいことをしたと主張する気持ちは毛頭ありません。しかし下の表を見て戦争の深い意味での悪を考えて頂きたいのです。
戦後日本はアジア諸国にいろいろな形で賠償を支払ってきました。政治的には償いは終わっているのです。しかし甚大な被害を受けた先方の人々はその事を絶対に忘れないのです。許すとか、許さないという次元の問題ではないのです。
この気持は日本人の遺族の気持と同じです。
その事は悲しいことですが、充分に考慮に入れて国際関係の平和を築いて行くのが大切だと信じています。
私はいつか南十字星にアジアの平和を祈りたいと思っております。
===以下の統計表の出典は、「我が家のホームページ」(http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM)です。===
アジア太平洋戦争におけるアジア諸地域の戦争被害
(死者、経済的・物的損害額、日本が獲得した資源)
地 域 死亡者(人) 損害額($) 日本が獲得した鉱産資源/食料など
日 本 3,100,000以上
朝 鮮 約200,000 不詳 鉄鉱石/米/大麻
中 国 10,000,000以上 5,000億 (中国本土)鉄鉱石、石炭、ボーキサイト、タングステン
/小麦/綿花、大麻
(「満州国」)鉄鉱石、石炭、ボーキサイト
/小麦、大豆、とうもろこし、羊毛/大麻
台 湾 30,000余 不詳 米、砂糖
フ ィ リ ピ ン 約1,110,000 58億5,000万 鉄鉱石、クローム、銅、マンガン/砂糖/マニラ麻、コプラ
ベ ト ナ ム 約2,000,000 不詳 石炭、タングステン/米、とうもろこし/ジュート
タ イ 不詳 不詳 錫/米
ビ ル マ 約150,000 不詳 タングステン、ニッケル、石油、鉛、亜鉛
/米、落花生、とうもろこし/ジュート
マレーシア・シンガポール 100,000以上 不詳 錫、鉄鉱石、ボーキサイト、タングステン/ゴム
インドネシア 約4,000,000 数十億 石油、ボーキサイト、ニッケル、石炭、錫
/砂糖、とうもろこし/ゴム、キニーネ、コプラ
イ ン ド 約1,500,000 不詳
オーストラリア 17,744 不詳
連合軍将兵・
民間人・捕虜 約6万数千 (オーストラリアの死者のうち約8,000と重複)
合 計 日本を除く死者:1,900万人以上
人的・物的被害は、原則として政府の公式発表の数字(「アジア太平洋戦争の被害」『世界』1994年2月号所収)。
日本が獲得した資源は、岡部牧夫「『大東亜共栄圏』その資源・日本軍の加害と被害」(『週刊朝日百科・日本の歴史』第119号、1988.7.31)による。
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表に掲げた数字は、原則として戦後における各国政府の公式発表、公式文書に記されたものである。
各国の死亡者は、日本軍による抗日ゲリラ「討伐」による犠牲者、連合軍との戦闘に巻き込まれたもの、日本による資源の開発・収奪にともなう強制労働に起因するもの、日本軍の「現地自活」「現地調達」のための食糧徴発(住民の食糧不足)がまねいた病死・餓死が含まれている。
ベトナムの約二百万人といわれる死者の大部分は、日本軍による食料収奪と飢饉による病死者・餓死者であるとされている。
インドの死亡者は、直接、日本軍によるものとはいえないが、戦争にともなう食料不足(ベンガル飢餓)によるものである。
インドネシアでも、膨大な数の「ロームシャ」の徴用と日本軍の「現地自活」にともなう食料不足のための犠牲者は、四百万人におよぶとされている。「兵補」として戦場にかり出された人々からも犠牲者がでている。
マレーシア・シンガポールでの犠牲者の多くは、 日本軍による抗日勢力「粛清」によるものである。
英領マレー(現マレーシア)では、中国系の住民に対して日本軍は、中国本土でおこなったのと同じように、ゲリラ討伐を口実に村落ごと殲滅する作戦を各所でおこなった。
シンガポールでの反日・抗日派に対する「大検証」(逮捕・虐殺)も、日本軍がアジアの人々を敵にした隠すことのできない事件の一つである。
フィリピンにおける犠牲者も、日本軍と米軍との戦闘に巻き込まれた(とりわけ一九四五年一月~三月のマニラ攻防戦で一般市民十万人が死亡したといわれている)だけでなく、 日本軍による「治安粛清」 すなわちゲリラ討伐によって殺害された人々が多数ふくまれている。
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