防災の日。関東大震災の日。3年前、はじめて両国の震災記念堂に行きました。お線香の立ちこめる堂内では、お焼香をする方々が多くいました。そのときの目的は、震災の時に流言飛語によって虐殺された朝鮮人被害者の追悼式に参列することでした。
今、84年も経って、大地震の恐ろしさや被害の大きさ、備えの大切さを教訓として、大規模な避難訓練を行うのも大切ですが、一方でこうした悲劇があったことを我々は忘れてはならないと思います。
資料館では「自警団」の様子が描かれた、大きな絵が掲示されてありましたが、そうした朝鮮人被害者のことにはふれてなかったような気がしました(どこかのコーナーに説明があるのに気づかなかったのかもしれませんが)。
自分たちの生命は、自分たちで守る。自分たちの財産は、自分たちで守る。自分たちの町は、自分たちで守る。老若男女が、手に手に鳶や棒などの武器を構えて、あたりを警戒しているその鋭い目つき。その目には何が映っているのか。自警団の様子を描いた大作の油絵に、いろいろ考えさせられたことが、今も記憶に残っています。
今日は、ちょっぴり涼しい一日でしたが、3年前の今日は、燃えるような暑い日でした。関東大震災の日は、暑い日だった、と。
今、84年も経って、大地震の恐ろしさや被害の大きさ、備えの大切さを教訓として、大規模な避難訓練を行うのも大切ですが、一方でこうした悲劇があったことを我々は忘れてはならないと思います。
資料館では「自警団」の様子が描かれた、大きな絵が掲示されてありましたが、そうした朝鮮人被害者のことにはふれてなかったような気がしました(どこかのコーナーに説明があるのに気づかなかったのかもしれませんが)。
自分たちの生命は、自分たちで守る。自分たちの財産は、自分たちで守る。自分たちの町は、自分たちで守る。老若男女が、手に手に鳶や棒などの武器を構えて、あたりを警戒しているその鋭い目つき。その目には何が映っているのか。自警団の様子を描いた大作の油絵に、いろいろ考えさせられたことが、今も記憶に残っています。
今日は、ちょっぴり涼しい一日でしたが、3年前の今日は、燃えるような暑い日でした。関東大震災の日は、暑い日だった、と。