今朝の「朝日」一面トップ。我が目を疑った!
「和田中で、夜の塾」大手の進学塾とタイアップして経営する、とのこと。通常の塾の価格より格安だ、をウリにする。
なんということはない、これまで通っていた(和田中の生徒たちも)塾から、塾生を取り込んで、塾の成果をあげたい塾の思惑と、有名塾の塾代がもう少し安ければ、というエゴな親の狙いがマッチしたというだけのこと。それを大々的に取り上げ、「新しい学校と塾の連携だ!」と持ち上げる感性の貧困さ。
「補習じゃないから、ついて行けない者はだめです!」ここまで露骨に表現して囲い込みをはかる学校(藤原)と塾。地元の中小の塾は、これではつぶれます!
何とかして高校入試に受かりたい!受からせてやりたい!この願いはどの親子も同じはず。
中には、有名高だけが学校ではない。それぞれの希望を叶えさせていくことに、意義を見つけている、親や学校関係者。
ささやかな個別指導塾とか、アットホームに「落ちこぼれ」を救いながら、細々とやっている私塾に行くような人は、それでいい!優秀な子供は我が塾に!
これが公立学校のやることか!
すでに塾は生き残りをかけて「進学実績」狂騒の真っ最中!それに遅れをとっている、公立中学。なにしろ、学習指導すらままならぬ生徒の実態。進路指導すらほとんど許されない、(つまり、親の言いなりでしか対応できない)今の公立中学のセンセイ。この状況を、いったい誰が招いたのか!
「猫の目」カリキュラムの強制的な押しつけ、学級定員の多さ、施設設備の老朽化、きめ細かな指導が出来ない日常、雑務の多さ、恒常的な教師の不足・・・。
加えて、親の徹底したエゴイズム、我が子しか見ていない(見られない)親たち。自分の子さえよければいい!・・・。地域の目、マスコミの目、・・・。
そうしたことの本質から、目をそらせていく学校関係者。受験だけが、有名進学校に行って、有名大学に行って、上級官庁に、大企業に就職して・・・。そうしたバラ色の夢を押しつける(そうしないと子供がかわいそう、そうさせない親は親ではない、とばかり親への圧力)・・・。
こうした世間の風潮に、世の中のさまざまな生き方(生活)に目を向けることの大切さ、そこからの人への関わり、世の中への関わり、こうした内容を盛り込んだ実践が、和田中の「よのなか」科ではなかったか。藤原氏も、そこに意欲を燃やしたはず、民間校長としての、面目躍如があったはず。
むしろ、こうした実践が広がらず、和田中だけであったところに、事の本質を見抜けないことに問題があるのだ。
西の機械的訓練・「百マス」蔭山コウチョウと、東の「よのなか」藤原コウチョウと、ちやほやされているうちに、どちらも没落するのか。
退職が決定した時点で、こうした「構想」をぶちあげ、所詮、「よのなか」は受験戦争の勝ち組になることだ、と。結局、この程度の人間であった!それをドッコイショする「朝日」。
夕刊では、ささやかな実践の中で教育を考えているセンセイの特集をしているのに、・・・。ザンネン!
もしかして、藤原コウチョウ先生、退職後は朝日の編集委員くらいに迎えられるという「密約」でもあるのかしら。
どうでもいいけど、そうなら、「読売」渡辺の大連立構想仕掛けよりもちゃちいが、あんまり変わらんぞ!
「和田中で、夜の塾」大手の進学塾とタイアップして経営する、とのこと。通常の塾の価格より格安だ、をウリにする。
なんということはない、これまで通っていた(和田中の生徒たちも)塾から、塾生を取り込んで、塾の成果をあげたい塾の思惑と、有名塾の塾代がもう少し安ければ、というエゴな親の狙いがマッチしたというだけのこと。それを大々的に取り上げ、「新しい学校と塾の連携だ!」と持ち上げる感性の貧困さ。
「補習じゃないから、ついて行けない者はだめです!」ここまで露骨に表現して囲い込みをはかる学校(藤原)と塾。地元の中小の塾は、これではつぶれます!
何とかして高校入試に受かりたい!受からせてやりたい!この願いはどの親子も同じはず。
中には、有名高だけが学校ではない。それぞれの希望を叶えさせていくことに、意義を見つけている、親や学校関係者。
ささやかな個別指導塾とか、アットホームに「落ちこぼれ」を救いながら、細々とやっている私塾に行くような人は、それでいい!優秀な子供は我が塾に!
これが公立学校のやることか!
すでに塾は生き残りをかけて「進学実績」狂騒の真っ最中!それに遅れをとっている、公立中学。なにしろ、学習指導すらままならぬ生徒の実態。進路指導すらほとんど許されない、(つまり、親の言いなりでしか対応できない)今の公立中学のセンセイ。この状況を、いったい誰が招いたのか!
「猫の目」カリキュラムの強制的な押しつけ、学級定員の多さ、施設設備の老朽化、きめ細かな指導が出来ない日常、雑務の多さ、恒常的な教師の不足・・・。
加えて、親の徹底したエゴイズム、我が子しか見ていない(見られない)親たち。自分の子さえよければいい!・・・。地域の目、マスコミの目、・・・。
そうしたことの本質から、目をそらせていく学校関係者。受験だけが、有名進学校に行って、有名大学に行って、上級官庁に、大企業に就職して・・・。そうしたバラ色の夢を押しつける(そうしないと子供がかわいそう、そうさせない親は親ではない、とばかり親への圧力)・・・。
こうした世間の風潮に、世の中のさまざまな生き方(生活)に目を向けることの大切さ、そこからの人への関わり、世の中への関わり、こうした内容を盛り込んだ実践が、和田中の「よのなか」科ではなかったか。藤原氏も、そこに意欲を燃やしたはず、民間校長としての、面目躍如があったはず。
むしろ、こうした実践が広がらず、和田中だけであったところに、事の本質を見抜けないことに問題があるのだ。
西の機械的訓練・「百マス」蔭山コウチョウと、東の「よのなか」藤原コウチョウと、ちやほやされているうちに、どちらも没落するのか。
退職が決定した時点で、こうした「構想」をぶちあげ、所詮、「よのなか」は受験戦争の勝ち組になることだ、と。結局、この程度の人間であった!それをドッコイショする「朝日」。
夕刊では、ささやかな実践の中で教育を考えているセンセイの特集をしているのに、・・・。ザンネン!
もしかして、藤原コウチョウ先生、退職後は朝日の編集委員くらいに迎えられるという「密約」でもあるのかしら。
どうでもいいけど、そうなら、「読売」渡辺の大連立構想仕掛けよりもちゃちいが、あんまり変わらんぞ!