おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

滝の川。本陣跡。オランダ領事館跡。(神奈川宿。西から東まで。その4。)横浜その11。

2014-03-05 21:58:51 | 旧東海道
 前回、「松並木」など仲木戸周辺は探訪したので、見落としたところなど補足しながら、京急・神奈川新町駅まで。

「滝の川」のほとりにある「本陣跡」碑。↓が本陣、が権現山(西側の高島山から続く幸ケ谷公園、幸ケ谷小学校までの丘陵地帯)。

 「滝ノ橋と本陣跡」
 上の図は、「金川(注:神奈川)砂子(注:川崎宿内の地名)」に描かれた江戸後期の神奈川宿の風景である。現在と同じ場所にあった滝ノ橋を中心に、江戸側には神奈川本陣、反対側に青木本陣が置かれていた。本陣とは大名や公家などが宿泊したり休息するための幕府公認の宿である。
 滝ノ橋のすぐ脇には高札場が見える。高札場は幕府の法度(はっと)や掟(おきて)を庶民に徹底させるための重要な施設である。この高札場は、現在の地区センターに復原されている。

紅白の梅が咲き始めていた。
 

水鳥の群れ。食パンをちぎってあげている近所のご婦人がいた。
「土橋寿司」。
「土橋」。昭和4年竣工。横浜も関東大震災で大きな被害を受けた地でもある。この橋も、震災復興に関わる橋だろうか。

「浄瀧寺」。開港時、イギリス領事館に充てられた。
「滝の川公園」。この川には河童の伝説があったようだ。公園内のモニュメント。
 
左:「河童の木登り」、                 右:「河童の川流れ」
 
 滝の川は、権現山から流れ出る水が、滝となって落ちていたので、滝の川といわれるようになったとの説があります。
 この川には「河童のくれたされこうべ」という伝説があります。
 昔々、滝の川には河童が住んでいました。旅人を困らせていると聞いた侍が、見事にこの河童を捕まえました。
 その河童が泣き泣きいうことには、・・・「ある年一匹のうわばみが現れて亭主は殺されてしまいました。それからというものは、二人の子どもを養うために悪いこととは知りながら、ついついご迷惑をかけました。以後いっさい悪いことはいたしません。約束のしるしに、大事な亭主の首をさしあげます。どうぞお許しください・・・」
 哀れに思った侍は許してやりました。
 その夜、河童は約束通り首を届け、以後宿場は静かになったそうです。(「神奈川宿歴史の道」より)

「神奈川小学校」脇にある「上無川」の碑。「上無川」から「神奈川」という地名ができたという説がある、らしい。関東大震災復興計画で埋め立てられたとのこと。 

タイルに描かれた「神奈川宿」・東海道全図。なかなかみごとなモニュメント。
上の赤丸がJR「東神奈川」駅、その下の赤丸が京急「仲木戸」駅、右の赤丸が「神奈川小学校」。
 この辺りは寺町になっていて、お寺が並んでいる。
 
「京急・神奈川新町」駅前の案内板。青い矢印が「神奈川新町」駅。

「神奈川通東公園」内にある「オランダ領事館跡」碑。ここには、昭和40年に移転するまで「長延寺」が建っていて、開港時、オランダ領事館に充てられた。
 このあたりが、江戸からの神奈川宿への入口にあたる。

そこから「神奈川新町」駅ホームを望む。

 「上台橋」から「神奈川通公園」までの約4キロの道のりが「神奈川宿歴史の道」となっています。よく整備され丁寧な案内板も豊富で、興味深く楽しみながら歩くことが出来ました。

                   
 神奈川台石崎楼上十五景一望之図(「神奈川宿歴史の道」より)


 帰りに立ち寄った「東京スカイツリー」みやげ。
「東京ばななツリー」 
 もちろん、お昼は崎陽軒の「シュウマイ弁当」でした(ただし、江東区の大島工場でつくったもの)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする