おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「新興駅」。貨物専用線廃線跡をたどる。その4。横浜その18。

2014-03-15 23:12:20 | 鉄道遺跡
  宝運河に架かる「布袋橋」を越えると、横浜市が「貨物線の森緑道」として公園整備を進めている地区になります。廃線跡の「緑道」が一直線に伸びています。樹木などの緑はまだまだ少ないようですが。ちらほらつぼみも。

 産業道路の両側は「日産自動車横浜工場」関連施設が並んでいます。
日産の工場脇。
メモリアルとして線路がそのまま残っている。「日産工場」正門前。
産業道路の西側を廃線跡の緑道が進んでいく。

大黒運河に架かる「寿老橋」。
並行して存在していた貨物線(恵比須~新興区間)廃線跡の橋梁。
立ち入り禁止の柵には、つる性の草が絡まったまま。
線路も撤去されて橋脚のみ残っている。
反対側から橋梁を望む。
「大黒運河」の表示。来た道を振り返る。右が橋梁部分。
しばらく「緑道」未整備の区間が続く廃線跡。


この先から整備工事区間になる。振り返って見たところ。
どういう緑道になるのか? 日産の工場前のような歩道・通路ではなくて、貨物線跡らしいモニュメント、工夫があって欲しいが。
この広い敷地はかつての新興駅構内。今は、工事用の資材置き場になっている。奥の方にJR貨物のコンテナが置かれてあった。
「JRF」のロゴが見える。(「JRF」HPより)

新興駅跡。公園として整備されたが、高速道路工事のための資材置き場等で、広い範囲で閉鎖されている。正面が高速道路。終着駅(行き止まり)という雰囲気(もう少し先、「食肉市場」などへの専用線はあったが)。

未整備の一角。かつては何本の線路が敷かれ、大きなヤード(操車場)になっていた。

1970年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。「新興駅」が貨物・物資流通の一大集積駅であったことが分かる。

現在は、交差点とバス停に「新興駅」「新興駅前」とあるのみ。
大型トラックがひっきりなしに行き来する。
「首都高・横羽線大黒バイパス」の橋脚。


 「京急・新子安」駅に戻る途中、見かけた記念碑。子安一帯は「西洋野菜栽培、トマトケチャップのふるさとの地」、時代を先取りした農村地帯だった、そうだ。

 横浜は、日本の近代化にとってさまざまな面で、懐の深い土地だ、と改めて感じました。

 ここまで来たら、「みなとみらい」まで足を伸ばすか! さもなければ、「川崎宿」に戻るか! 思案のしどころです。

 「新興駅」「新興線」廃線痕跡探索は、3月4日でした。
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