前日の雨もすっかり上がり、好天。けれども、風が吹き荒れる、そんな12月2日。箱根宿から三島まで歩きました。
「旧箱根路西坂」。
「箱根湯本」駅に着いたのが、朝9時少し前。平日とあって人も少ない。しかし、前夜来の強風、そのため、観光船もロープウエーも運行せず、との張り紙。戸惑う観光客も何人か。
バスも二社だか、三社だかが運行していて、行く先も、途中のコースもよく分からない。どれが早いのやら、どこのバス停がいいのか・・・。さらに、案内の人もやけにつっけんどん。
「そのチケットではこのバスは乗れませんよ。」
「海賊船は運航しません。えっ、そちらはさあ、分かりませんね。」
「早く着くのかどうか、こちらに聞いてもわかりせんよ、向こうのバスに聞いたら。」
「周遊券の売り方がおかしいんですよ、きちんと説明しないで売っている。」
風が冷たく吹く中でうろうろしたあげく、来たバスに乗ったら、「箱根町」の手前が終点のよう。前のバス停に停まったバスの表示が「箱根町」。慌てて降りて乗り換える。
バスの中では、老夫婦が観光船のことやロープウエーの運行状態を聞いても、さあ、そちらの様子はわかりませんね、一点張り。
一大観光地「箱根」。それも国際的に有名観光地にしてはどうも接客がお粗末、な印象。温泉宿泊施設をめぐるバスは3コースに分かれ、100円で行き来してくれる。ここは、温泉客中心の運営なのか、とも。
お土産屋さんはあちこち目に付くが、コンビニは旧道・三枚橋先に一軒。芦の湖畔に一軒くらいしか見当たらなかったのも、そのせいか。・・・
それでも、くねくね曲りながら高度を上げて、やっと「箱根町」終点へ。10時頃に無事到着。「箱根関所」の南側。ここからが今日のスタート。
「箱根関所」方向を望む。
日差しはよいが、風がひどく吹いている。
「箱根駅伝モニュメント」。波頭を立てる芦ノ湖の向こうに白雪の富士山。
しばらく進むと、「箱根駅伝」ミュージアム。
その先を右に曲がると、往路のゴール地点。
「箱根宿」「箱根駅伝」説明板。
「箱根宿の成立」
1618年(元和4年)徳川幕府によって宿場が開かれた。時の松平正綱が命を受けて山野を拓き、伊豆国三島宿(幕府の代官支配地)と相模国小田原宿(小田原城府地)から各、50戸づつ移住願いせし(約600人)人為的に箱根宿を創設し、また、二つの系統に依って支配されていた。現在も箱根宿主要部は、字三島町と字小田原町と名付けられている。尚、箱根宿成立に寄与された先人たちの不動の祖嗣として現在、九家が実在し、歴史・伝統等を伝承して行く重責を担い道標を築き努めている。
箱根字三島町 祖嗣 川口屋
「箱根駅伝」
東京箱根間往復大学駅伝競走(「現在217.9㎞)は、大正9年(第一回大会)に4校で争われました。
以来、第二次世界大戦により、5回中断されましたが、昭和、平成と三世代に渡り、シード権の獲得校と、予選を通過した大学、20校(200名)のみが毎年1月2日・3日の決戦に挑み、母校の名誉と栄光のために、勇気と汗と苦しみ、孤独感を一身に背負い、熾烈な戦いをしております。また、箱根を制した者が陸の王者となり得ています。
箱根芦ノ湖折返し地点 川口屋
「芦川バス停」を過ぎた付近で、国道1号線から離れ、右手の道に入ります。
足元の表示。
しばらく静かな住宅街を進むと、いよいよ「箱根峠」への上り道が続く石畳道入口になる。
入口付近の石仏群。
「向坂」。
芦ノ湖湖畔の箱根宿を過ぎますと再び山にさしかかります。この坂が向坂です。坂の入口には石仏群があり、往時の杉並木も石畳も残っていて味わい深い坂です。
続いて、「赤石坂」。
国道一号線を挟んで両側に石畳と杉並木が残っています。道を下れば旧箱根宿の1つであった芦川の集落に、道を上れば相模の国と駿河の国を分ける箱根峠に達します。
「釜石坂」。
この付近にも、往時の杉並木が残っている。
「風越坂」。
しばらくすると明るく道が開け、目の前には階段。国道を行き交う車の騒音も聞こえてくる。
「挟石坂」。
箱根峠にかかる坂です。峠は浮世絵の絵をみますと伊豆の国を分ける標柱とゴロゴロした石、それに一面のカヤしか描かれていません。まことに荒涼たる峠でした。三島宿までは、ここからさらに4里(16km)近く、こわめし坂、臼転坂などの難所が続きます。
「箱根峠」には、「国道1号線」、「バイパス(箱根新道)」の交差地点を左に進む。右に進むと、「道の駅・箱根峠」。そちらに立ち寄った。
「箱根峠の境木」。
駐車場からは目の前が大きく開け、「芦ノ湖」、「箱根連山」、「富士山」が一望できる、すばらしいロケーション。
正面が「駒ヶ岳」。
再び、車がそれも大型トラックがビュンビュン行き交う国道を歩き、「箱根峠」へ。
標高846㍍。「箱根峠」に着きました! 小田原から延々と上り道を歩き、芦ノ湖で少し平坦な道、そして最後の急登。
これから先、三島までは下り道。でも、足の疲れ具合は下り道ほどこたえることを後に知らされるはめに。