(10:52)「柏神社」前を行きます。北柏から我孫子へ向かいます。
柏神社脇の解説板。
水戸街道の木戸
江戸時代、柏市域の一部は小金牧といわれた幕府直轄の馬の放養地、供給地であり、当時の水戸街道はこの牧の中を通過していました。その情景は下の「水戸土浦道中絵図」から探ることができます。
牧の中を水戸街道が画面東西に走りぬけ、その街道沿いには松並木と想われる樹木、周辺の野原には野馬の群れる姿が見られます。牧のはずれには木戸(「柏木戸」「新木戸」)が置かれ、その周囲には野馬土手が築かれている様子がわかります。
水戸街道は、水戸藩士の通行や人々の物資の輸送などに使われた重要な道でした。そのため牧と村の出入口には木戸を作り、人々の往来を確保し、無宿者や浪人者などにも対処するための関所の役目も果たしていました。明治時代になって地租改正が行われ土地に番地がつくようになると、柏木戸のあったところが柏一番地となりました。
現在、木戸は残されていませんが、水戸街道の「新木戸」や成田街道(現在の県道我孫子・関宿線)と言われた「花野井木戸」「船戸木戸」などが今でもバスの停留所の名称として使われています。
駅前商店街。
(10:57)「巻石堂病院」。
ユニークな道標?
(11:12)「国道16号線」と交差します。
「旧水戸街道入口」。
たどってきた道(柏方向)。
これからたどる道(我孫子方向)。
(11:21)JR常磐線跨線橋を渡ります。正面の建物は、「ハート柏迎賓館」。
「ハート柏迎賓館」。
ここは、結婚式、歓送迎会、パティーなどに利用されているようです。
線路に沿って進みます。
民家の脇に古い馬頭観音道標。「ながれやまみち」、正面に「馬頭観音」。
しばらく進むと、「国道6号線」北柏入口交差点になります。旧道は寸断されるので、陸橋下をくぐります。「国道」の向こうは、大規模物流施設「ロジポート北柏」。
(11:33)呼塚河岸跡(呼塚橋から。正面は常磐線、その先は手賀沼)
「根戸大坂」。緩やかに右に左に曲がる道筋。
根戸地区。大きなおうちが目立ちます。
「災害用井戸 協力の家」。
(11:47)JR「北柏駅」を過ぎた左手に「東陽寺」。
邸内にたくさんの石像が並ぶおうち。
しばらく進むと、右に大きく曲がります。
昔ながらの大きな農家、そして、祠。
(12:00)「国道6号線」根戸交差点を渡ります。
来た道を振り返って望む。 我孫子方向を望む。
柏神社脇の解説板。
水戸街道の木戸
江戸時代、柏市域の一部は小金牧といわれた幕府直轄の馬の放養地、供給地であり、当時の水戸街道はこの牧の中を通過していました。その情景は下の「水戸土浦道中絵図」から探ることができます。
牧の中を水戸街道が画面東西に走りぬけ、その街道沿いには松並木と想われる樹木、周辺の野原には野馬の群れる姿が見られます。牧のはずれには木戸(「柏木戸」「新木戸」)が置かれ、その周囲には野馬土手が築かれている様子がわかります。
水戸街道は、水戸藩士の通行や人々の物資の輸送などに使われた重要な道でした。そのため牧と村の出入口には木戸を作り、人々の往来を確保し、無宿者や浪人者などにも対処するための関所の役目も果たしていました。明治時代になって地租改正が行われ土地に番地がつくようになると、柏木戸のあったところが柏一番地となりました。
現在、木戸は残されていませんが、水戸街道の「新木戸」や成田街道(現在の県道我孫子・関宿線)と言われた「花野井木戸」「船戸木戸」などが今でもバスの停留所の名称として使われています。
駅前商店街。
(10:57)「巻石堂病院」。
ユニークな道標?
(11:12)「国道16号線」と交差します。
「旧水戸街道入口」。
たどってきた道(柏方向)。
これからたどる道(我孫子方向)。
(11:21)JR常磐線跨線橋を渡ります。正面の建物は、「ハート柏迎賓館」。
「ハート柏迎賓館」。
ここは、結婚式、歓送迎会、パティーなどに利用されているようです。
線路に沿って進みます。
民家の脇に古い馬頭観音道標。「ながれやまみち」、正面に「馬頭観音」。
しばらく進むと、「国道6号線」北柏入口交差点になります。旧道は寸断されるので、陸橋下をくぐります。「国道」の向こうは、大規模物流施設「ロジポート北柏」。
(11:33)呼塚河岸跡(呼塚橋から。正面は常磐線、その先は手賀沼)
「根戸大坂」。緩やかに右に左に曲がる道筋。
根戸地区。大きなおうちが目立ちます。
「災害用井戸 協力の家」。
(11:47)JR「北柏駅」を過ぎた左手に「東陽寺」。
邸内にたくさんの石像が並ぶおうち。
しばらく進むと、右に大きく曲がります。
昔ながらの大きな農家、そして、祠。
(12:00)「国道6号線」根戸交差点を渡ります。
来た道を振り返って望む。 我孫子方向を望む。