「綾瀬川」。
かつて、汚れきった川として、1980年から15年連続で全国の一級河川水質ランキングのワースト1位にランキングされ、2010年の調査でも2年連続で日本一汚れた川、まさに黒く濁った「どぶ川」とされましたが、流域の生活用水、工業・農業排水の改善、下水道の整備等によって大幅に改善され、清流が戻りつつあり、今日も浚渫作業船が活躍しています。
1880年代のようす。荒川放水路開削によって分断。「隅田川」に注ぐ←部分が現存。
2010年代のようす。中央の荒川によって流路は荒川沿いとなり、←が元綾瀬川。「墨堤通り」に架かる橋が「綾瀬橋」。
振り返る。
頭上は首都高、遠くにスカイツリー。
葛飾区堀切に入ります。ビルのところに「菖蒲園」の絵柄。
なんといってもここは、「堀切菖蒲園」。ちょうど見ごろになっています(6月17日)。が、沿線歩きをしたのが、5月24日でしたので、まだ時期が早かった! そこで、3年前、6月16日に訪問したときの写真を再掲載します。
たくさんの種類の菖蒲が色とりどりに咲いています。なかなか見応えがあります。
数多くの江戸菖蒲(200種6000株)を鑑賞でき、とのこと。
(以下、「Wikipedia」参照)
江戸時代には「江戸百景」に数えられ、名所案内や紀行文、鈴木春信・歌川広重の浮世絵に登場する。
歌川広重 名所江戸百景「堀切の花菖蒲」
戦前まで、この近辺には武蔵園・吉野園・観花園・小高園・堀切園などの菖蒲園があった。
昭和34年(1959年)堀切園を東京都が購入、東京都立堀切菖蒲園として公開。昭和50年(1975年)葛飾区に移管され、現在に至る。
明治後期のようす(「今昔マップ」より)。
○が菖蒲園のあったところ。上にある園名が記されている。ただし、「戦前まで」とあるが、「今昔マップ」ではすでに昭和初期には上記の園名は見当たらない。
まだ「荒川放水路(現荒川)」が開削される前で、東武線が荒川放水路によって西側に大きく線路変更される前の線路になっている(まだ上野に向かう京成線はできていない)。
北西から南東、斜めに流れる水路は「旧綾瀬川」(後に、「荒川放水路」の一部になってしまう)。東側に流れる用水路は葛西用水・曳舟川。
2000年代(「同」より)。○が「堀切菖蒲園」。
全景。園内の四阿から。今年もマスク掛けで鑑賞。
ここは、荒川氾濫の時は3mの浸水。↓の線。線路も浸水?
京成「堀切菖蒲園」駅。
荒川の対岸には東武線の「堀切」駅があります。かつては同じ村落だった。
線路脇の商店街を進みます。
「平和橋通り」を歩道橋で越えます。
そのすぐ脇を京成電車が通過します。
千住大橋駅から続いた高架線がここから地上線。少し進んでから振り返る。かつてはこの付近は台風などがあると水浸しになり、線路だけが浮いたようになりました。
お花茶屋駅方向を望む。
行き止まりなので、少し迂回します。線路と道路に挟まれた狭いところに建物。
踏切を渡って反対側へ。
「お花茶屋」駅前に。右手がホーム。
駅前の商店街。色んなお店があります。
「Ohanajaya Station」。
地名の由来
江戸時代、江戸幕府八代将軍の徳川吉宗が鷹狩りに興じていた際に、腹痛を起こした。その時、名をお花という茶屋の娘の看病により快気したとの言い伝えがある。この出来事により、現在の地名を賜ったとされている。
(この項、「Wikipedia」より)