京成線のガード。この道路はかつての用水路跡。
これは「東用水」跡の道路。
小合溜から「大堰枠」で分岐した水路は、京成電車の高架線手前で二つ(「東用水」・「西用水」)に分岐します。京成線の北側。右が「東用水」左が「西用水」。どちらも京成線をくぐる。葛飾区内の用水路跡はほぼ探索済みで、ブログにも掲載。「河川痕跡」(カテゴリー)。
1880年代のようす。○が分岐点。分岐点の上の道は新宿から分かれた「佐倉街道」。
中央に、「中川」を渡し舟で渡り、柴又帝釈天へ通じる道がある。
2010年代のようす。→が撮影位置。中央の川は「新中川」。
「高砂橋」を振り返る。
もう一つの用水(「西用水」)跡。
火の見櫓。
「スカイライナー」が通過中。
「京成高砂駅」。
駅前のようす。
正面の高架線は、「金町線」。
A:京成本線 B:北総線 C:金町線 (上が南方向)
地名の由来
【高砂】1932(昭和7)年まで「曲金」とよばれていました。曲金は約620年前の室町時代の資料にも出てくる古い地名です。明治時代になると、地元の人から読みにくいなどといわれました。そのため1932(昭和7)年に葛飾区が誕生したときに、それまで使われていた小字名(村より小さい単位の地名)の中から一番縁起のよい「高砂」を地名にしたのです(曲金村高砂という地名がありました)。なお、駅の名前は地名より早く、1913(大正2)年に曲金から高砂に変更されています。(「葛飾区史」HPより)
中川(旧・古利根川)がこの付近で大きく曲がっていたことによるとか。直角に近い角度ならまさにさしがね。
「金」は「鐘」とも記す。
墨田区に「鐘ヶ淵」という地名があります。
「隅田川」は西から流れてきて、ここで大きく流れの向きを変えて南へ向かっていく。ここが鐘ヶ淵。その形が大工道具の指矩(さしがね)を思わせるというので、“かねが淵”の名で呼ばれるようになったと伝えられていますが、他説には、ある寺が移転する際、ここで梵鐘が川に落ちて沈んだままになっていることが由来とも。かつては綾瀬川が合流するところで、船人にとっては難所でもあり、その意味でも有名なところだったのです。
1880年代のようす。「曲金村」という表示。
墨田区鐘ヶ淵付近。
同上。↓が綾瀬川との合流地点。
この踏切は「開かずの踏切」としていつも交通渋滞。車はここを避けて通るため、細い道に入りこみ、交通事故も。早く高架駅にしてほしいところ。
「連続立体交差事業の??!」。
残念! すっかりかすれてしまっています。