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読書「ゲッベルスと私 ナチ宣伝相秘書の独白」(ブルンヒルデ・ポムゼル+トーレ・D.ハンゼン)紀伊國屋書店

2019-08-02 19:32:14 | 読書無限
                      ・・・
                      神は存在しない。
                      だけど悪魔は存在する。
                      正義なんて存在しない。
                      正義なんてものはないわ。―表紙カバー裏―

 「自分に与えられた場で働き、みなのために良かれと思ったことをする。誰かに害をなすかもしれないと、わかっていても。それは悪いことなのかしら。エゴイズムなのかしら。それでも人はやってしまう。人間はその時点では、深く考えない。無関心で、目先のことしか考えないものよ。」(ブルンヒルデ・ポムゼル)


 「解説」(石田勇治)にもあるように、本書は、ヒトラーの時代を知る最後の生き証人、2017年に106歳で亡くなったドイツ人女性ブルンヒルデ・ポムゼルの物語である。本書刊行と同時に公開されたドキュメンタリー映画「ゲッベルスと私」の制作にあたり、30時間に及ぶインタビューの記録を編集し、ドイツのジャーナリスト、トーレ・D.ハンゼンが長文の解説を付して出版された。

 日本語版:2018年6月26日第1刷

 ポムゼルは、ゲッベルス宣伝相の秘書を務め、ナチ党員でもあったことから、戦後は散々非難されたであろう。ポムゼルの語りはすべて言い訳のように読める。納得の行くところもあるが、首をかしげる箇所もある。だが、その語りに真摯に向き合うことで、あの忌まわしい独裁がいかなる人びとによって支えられていたのか、私たちは推し量ることができるだろう(P252)

 《私たちは政治に無関心だった》
 《ヒトラーはともかく、新しかった》
 《少しだけエリートの世界》
 《破滅まで、忠誠を》
 《私たちは何も知らなかった》
 という章立てで、生い立ち、家庭環境、・・・青春時代から国営放送局、そして国民啓蒙宣伝省に入って、ゲッベルスの秘書となり、敗戦を迎え、5年間ソ連に抑留された後、解放され、その後、103歳のときのインタビューを受ける彼女の生き様が語られ、整理され、編集されていく。 

 インタビュー当時(103歳)の総括の言。

 自身の罪についての永遠の問いに対しては、私は早い時期に答えを出した。私には、何の罪はない。だって、なんの罪があるというの? いいえ、私は自分に罪があるとは思わないわ。あの政権の実現に荷担したという意味で、すべてのドイツ人に咎があるというのなら、話は別よ。そういう意味では、私を含めみなに罪があった。(P166)

 トーレ・D.ハンゼンは、解説「ゲッベルスの秘書の語りは現代の私たちに何を教えるか」において、

 私たちはおそらくはまだ、ポムゼルの言う「ガラスのドーム」(注:「ナチスが権力を握ったあとでは、国中が巨大な強制収容所の中にいたのよ。ヒトラーが権力を手にしたあとでは、すべてがもう遅かった」)の中で、不安と無知のために立ち尽くしている。念頭にあるのは自分の利益ばかりで、社会の状況には目をつぶってご都合主義を貫き、右翼ポピュリストの台頭に間接的に手を貸し続けている。ポムゼルが言うように、そこから抜け出す逃げ道はないのだろうか? 無知と無関心が潜在的な罪であるならば、現代の私たちが担う責任は非常に大きいという主張は、意外でも何でもない。ナチ政権の時代の人間なら、知らなかったと弁明することができるかもしれない。だが私たちは彼らより歴史を知っている分、わかっていなければならない。(P239)

 さらに、「人類は歴史から何か学んだのだろうか」という問いを発し、高齢のファシズムの生き証人としてこのポムゼルの他に一人の女性、104歳で没したドイツ生まれのユダヤ人インゲボルク・ラポポートを取り上げている。

 インゲボルク・ラポポートは、過激化と政治的無関心の両方を非常に危険だと感じている。「非政治的人間は付和雷同しがち」だからだ。
 危険なのは、複雑な問題に簡単な答えを求める人間だ。彼女は現在も平和を愛し、人々の連帯を信じ、自己中心的な資本主義のシステムは信じない。イスラム教を蔑視する議論やブルカの問題(欧州全体で、イスラム教徒の女性が全身を覆い隠す「ブルカ」を公共の場で着用禁止にする動きがある)は、憎悪をかきたてるために使われるおそれがあると感じている。同じようなことを彼女もナチズムの時代に経験したからだ。
 二人の人生には共通点がある。ポムゼルとインゲボルク・ラポポートは、ファシズムとは何か、無知、受動性、無関心、ご都合主義はドイツと世界に何を引き起こしたかを身をもって経験した世代の、おそらく最後の警告者だという点である。(P242)

 昨今の政治情勢(国内外)を見ると、アベ改憲策動に向けて、特に参議院に進出した「N国」の動きは、党首のもともとの政治的スタンス(差別主義者、排外主義者)を思うとき、自・公・維の別働隊として(ある意味でそれ以上のもの)とらえることが必要なのではないか。
 こういう国レベルの動きだけでなく、大阪、名古屋、東京・・・日本の主要都市、各所で、今、かなりきわどくファシズムという政治情勢へ突き進んでいると感じる。

 本書にもあるように、

 主権者である国民が、ポムゼルのように世の中の動きに無頓着で、権力の動きに目を向けず、自分の仕事や出世、身の回りのことばかりに気を取られていれば、為政者は易々と恣意的な政治、自分本位の政治を行うだろう。それに批判的精神を失ったメディアが追随すれば、民主主義はチェックとバランスの機能を失い、果てしなく劣化していく。これは、他でもない現在の日本で起きていることである。(P257)

 トランプのアメリカ大統領当選は、有権者の40%が投票しなかったという現実の上にあったからなのだ。

 ところで、本書には、映画撮影後、亡くなる2ヶ月前にスタッフに語った、ユダヤ人の恋人との別れについての記述がある(ポムゼルは妊娠し、別れた後、中絶した。その後、生涯、独身を貫き、子供も持たなかった)。
 カメラを前にしては話せなかったのだろう。それは、時代に翻弄された、ポムゼルというひとりのドイツ人女性の、長い人生においての、余りに切ないエピソードである。  

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1 コメント

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Unknown (aya7maki)
2019-08-03 13:17:55
こんにちは〜つゆです。

20年ほど前でしたか、「朗読者」という本がありましたね。ナチ党の女性のその後で。
映画にもなり、ケイト・ウィンスレットもよかったです。
政治など関心がない、知る必要がない、と思っている人びとが、一番悪いのかも。
花や鳥の写真で誤魔化して。
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