おやじのつぶやき

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梅まつり。向島百花園。その1。

2018-02-24 13:43:46 | じじばばがゆく
                       益賀句碑「鳥の名の 都となりぬ 梅やしき」。

向島百花園「梅まつり~梅花彩る江戸花屋敷~」 2018/2/10(土) ~ 2018/3/4(日)

 2月23日(金)。

 冷たい雨もようやく上がった夕方前。「向島百花園」に立ち寄ってみました。4:30で入園終了(5:00閉園)。ぎりぎり間に合いました。
 いつものメンバーは体調など都合がつかず、予定は未定。せっかくのかつて「新梅屋敷」とも呼ばれた「百花園」。近くまで出かけたついでにちょっとのぞいた次第。
 「じじばばが(ひとりで)ゆく」、という趣向。雨上がりと傾いた日差しの中での散策。

 入園料:70円(65歳以上)。

向島百花園
仙台出身の骨董商、佐原鞠塢(さはらきくう)がもと「多賀屋敷」と呼ばれていた土地を入手し、1804年(文化元年)に開園した。360本もの梅の木を植えたことから当時亀戸(現・江東区)にあった「梅屋敷」に倣って「新梅屋敷」とも、「花屋敷」とも呼ばれていたが、1809年(文化6年)頃より「百花園」と呼ばれるようになった。江戸時代には文人墨客のサロンとして利用され、著名な利用者には「梅は百花にさきがけて咲く」といって「百花園」の命名者であった絵師酒井抱一や門の額を書いた狂歌師大田南畝らがいた。当初梅園として営まれたが、その後、園主や文人たちの構想で詩歌にゆかり深い草本類を多数栽培した。園内には多数の野草が植えられ、とくに秋の七草その他、秋の草花の美しさで知られた。また、池泉、園路、建物、30余基の石碑などを巧みに配した地割でも有名であった。
 その後も民営の公園としての長い歴史を経たが、明治以降、周辺地域の近代化や度重なる洪水などの被害を受け、明治末年頃よりその影響で草木に枯死するものがあり、一時は園地も荒廃したが、のちに東京市に譲渡されて1939年(昭和14年)には公営の公園として出発した。
 1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲により全焼し、それまで遺っていた往時の建物も焼失してしまい、石碑以外、樹木も含めてほとんど跡形もなくなった。戦後、跡地を少年向けの野球場にしようという声も出るなか、「百花園」として復興されることとなり、1949年(昭和24年)に再開された。
 幾度か変転を経ながらも、園内の景観は今なお旧時の趣きを保っており、文人庭の遺構としても貴重なものである。江戸時代の花園として僅かに今日に遺るものであり、その景観、遺跡ともに重要であるとして、1978年(昭和53年)10月13日、国の史跡および名勝に指定され、保護措置がとられることとなった。

                                          (以上「Wikipedia」参照)

芭蕉「春もやゝ けしきとゝのふ 月と梅」。

 満開とはいえませんが、けっこう園内にはさまざまな種類の梅が咲いています。「百花園」で準備された「梅マップ」によると、21種類の梅。去年の水戸の偕楽園や一昨年行った三浦半島の「田浦梅の里」、あるいは他の梅林に比べると、小規模ですが、そこそこ味わえます。

「紅冬至」。

「白加賀」。

園内。

                    



足元には「春の七草」が。

「御成座敷」の庭に咲く「唐梅」「白加賀」。

「唐梅」は八重。

「紅千鳥」。

                  

鶯色をした小鳥がたくさん集まっています。メジロ。(写真は「Wikipedia」より借用)  

 花の蜜を大変好むため花期に合わせて行動し、春には好物の花の蜜を求めて南から北へと移動するものもいる。特に早春はツバキや梅の花に群がる様子がよく観察され、「チー、チー」という地鳴きで鳴き交わす様子がよく観察される。花の蜜を好むことから「はなすい」、「はなつゆ」などの地方名がある。
 メジロは甘い蜜を好み、また里山や市街地でも庭木や街路樹などの花を巡って生活している。そのため昔から人々に親しまれた鳥である。現在も、切った果物や砂糖水などを庭先に吊しておくことでメジロを呼ぶことができ、野鳥観察において馴染み深い鳥の一種である。エサ場でヒヨドリがメジロを追っ払うのもよく見かける光景である。
 またメジロは比較的警戒心が緩く、頻繁に鳴き交わしつつ群れで行動するため、慣れた人だと口笛で(歯笛の感覚で吹く)仲間がいると思いこませ、群れを呼び寄せることもできたという。
 メジロとウグイスはともに春を告げる鳥として親しまれていたこともあってか、時期的・場所的に重なる両種は古くから混同されがちであった。
 メジロは梅の花蜜を好み、早春には梅の花を求めて集まってくる。また比較的警戒心が緩く、姿を観察しやすい。いっぽう、梅が咲く頃によく通る声でさえずりはじめるウグイスは警戒心がとても強く、啼き声は聞かれても姿を現すことはあまりなく薮の中から出ることは稀である。またウグイスは主に虫や木の実などを食べ、花蜜を吸うことはめったにない。
 ウグイスとメジロの混同を示すものとして「鶯色」がある。ウグイス色と言った際に、ウグイスの灰褐色(オリーブ色に近い)を想像する人もいれば、メジロの緑色に近い色を想像する人もいる。
 なお、古来より春を告げる言葉として「梅に鶯」があるが、これは梅の花に鶯の声を添えた風情を意味し、日本画で梅の枝にメジロを描くのとは意味が異なる。
      (以上、「Wikipedia」参照。)

 こうして身近にメジロを目にしたのは珍しく、「梅とウグイス」ならぬ「梅とメジロ」という趣向にしばし。

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