おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

45 東武貨物引き込み線跡と船着き場

2009-05-03 20:12:03 | 鉄道遺跡
 かつて、北千住駅を出た東武線が牛田駅に近づく手前に、隅田川に向かう引き込み線がありました。線路は、墨堤通りを横切っていました。隅田川から水路が入り込んでいて、鉄道輸送と船輸送とが一体となった、下町の中でも、大きな工業地域を形成していたようです。
 今は大型民間マンションの一角にある公園に、1942(昭和17)年に建立された「区画整理」の記念碑があります。それによれば、関東大震災以後に区画整理をしたことが記されています(せっかくの記念碑。表面はかなり薄れ、一面にいたずら書きがされていて、判読するのが困難な状態)。小学校(現千寿第八)が出来、その東側と西側に碁盤の目のように区画された「工業団地」(今風に言えば)が造られたとのこと。
 東武線から分かれた引き込み線が二本。一つは工場の中に進み、もう一つはそのまま隅田川に進み、その先は、またいくつかに分岐します。戦後も、けっこう活発な工業地域だったようで、昭和30年代後半までは、存在していました。
 その後、次々と大きな工場が移転され、辺り一帯は、都営の団地と民間の大きなマンション(これは比較的新しい)に変わりました。それでも、未だに手つかずのままの広大な土地が残されていますが。
 隅田川の入り江も埋め立てられ、その面影はありません。正面の舗装された道路が、まっすぐに隅田川に向かって、坂のように上がって伸びています。船着き場は、少し下流になりますが、水上バスの乗り場になっています。
 二本の鉄道線路も撤去されて、一本は、団地の中に消えています。マンションの南側にアーチ状に造られた遊歩道が、その線路跡の一部を生かしたように見えます。
 もう少し牛田駅寄りには一本の引き込み線がありましたが、これは、今でもその痕跡が残っています。「岡田商事千住工場」への引き込み線の跡です。写真がその部分。歩道の所に残っています。左手に見える道路が、墨田区役所付近から隅田川の土手沿いに北上する、墨堤通り。
 線路は、そのまま工場の中に入っていきます。その先は、立ち入り禁止となり、中がどうなっているか、分かりません。勿論、現在は、使われていません。
 公害問題などで、下町の工場が次々と郊外へ移転しました。この地域も、大きなマンション・団地か、フットサルのコートなどになっています(かつては、アミューズセンターでしたが)。
 けれども、東武の牛田駅と京成の関屋駅は昔のままの位置にあります。すぐ近くにあって、駅名がまるで違う!ちょっとめずらしい感じがします。
 二つの駅の間にある、「立ち食いそば」屋さんも健在でした(前は、その隣に普通のそば屋さんがありましたが、なくなっていました)。
 

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