おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

44 「亀有日立」引き込み線跡

2009-05-02 20:23:29 | 鉄道遺跡
 JR亀有駅の北東に日立製作所の亀有工場がありました。「亀有日立」と地元の人は呼んでいました。地名では、足立区大谷田から中川一帯になります。その大きな工場が土浦に移転し、跡地が大谷田団地と大きな公園になりました。西新井に向かう環七が、大きく西にカーブするあたりになります。
 この「中川公園」は、下水道局中川処理場の上に設けられた広大な、緑の多い公園です。隣には、建設残土改良プラントの「土作りの里」があります。これらの諸施設は、みな、日立製作所亀有工場跡地に建てられたわけです。現在でも、近隣には日立関連企業がいくつも操業しています。
 1938年(昭和13)年、日立製作所亀有工場が足立区大谷田町、現在の大谷田団地および中川下水処理場一帯にできました。最盛期には2万人以上の従業員が働いていたという巨大な工場だったといいいます。戦時中は、この工場で戦車など兵器が作られ、ここから戦地へと運ばれて行った、とも。引き込み線の日立亀有工場線ができたのも戦時中のこと。
 戦後も、重機などの製造工場として存続していましたが、高度経済成長期に入ると、公害防止などを理由に、都内にある大規模工場の地方移転が相次ぎました。日立亀有工場もその例外ではなく、1974(昭和49)年に土浦工場と統合し、操業を停止しました。
 その引き込み線の跡が、まだ残っています。それが、この写真。現在高架線となったJRが、亀有駅を出発して金町に向かうすぐのところです。
 目の前の住宅が、周りの住宅(特に右のマンションの向き)と違っていることにお気づきでしょうか。この住宅の向こうにも、北西方向に住宅が並んで建てられているのです。その数、10棟ほど。それもカーブ状に並んでいます。航空写真で見ると、もっとはっきりします。まるで貨車が連結されているかのようです。右のマンションと左側にある住宅との間に、引き込み線があったわけです。(実は、ここは、廃線探求マニアには、超有名な場所。)
 なお、この引き込み線の廃止を惜しんで、「JR大谷田線」応援団などもあるそうですが。もちろん、架空の鉄道路線です。


1970年代のようす。線路は撤去されましたが、整地中。常磐線はすでに高架になっています。


2010年代のようす。その跡に家が建ち並んでいます。まるで貨車のように連なっています。

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