おやじのつぶやき

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読書「卍」(谷崎潤一郎)新潮文庫

2013-01-22 19:05:45 | 読書無限
 『陰翳礼讃』を読んで、ついでに、久々に谷崎文学に少しはふれてみようと。いきなり『卍』というのもなんですが。
 
 関東大震災(大正大震災)で関西に移住した谷崎が、昭和5年から5年にかけて『改造』に断続的に掲載した作品。関西という新しい風土になじみ始めた谷崎が、東京弁に比べて耳に心地よく響いてくる、と感じ始めた関西弁を語り口調にして、女性同士の情欲、さらに異性関係上での愛憎がもたらすどろどろとした世界を描いています。
 関西弁、加えて女性言葉ですから、最近の小説の表現文体、多くは(こういう言い方はとても抵抗がありますが)「標準語」に慣れていると、取っつきにくい感じがします。一方、最近のTVで圧倒的に多い(えせ関西人も多いようですが)「関西」芸人の語り口などで耳が慣れていますので、活字を追いながら自然と音声化していく、という具合に読み進めていきました(もっともTVでは、東京の視聴者に合わせた語り口なのでかえってよくないかも知れない)。
 それにしても、80年以上の昔の時代に女性に語らせるという手法はたいした先駆性がありました。その頃は、「標準語」(東京語)に冒されていない、関西という風土に根付いた「美しい」言葉遣いが確乎としてあったということでもあります。それに比べて、近年では井上ひさしさんの戯曲など、登場人物たちは舞台となったお国の言葉を巧妙に操っていますが、芝居という表現形態の故でしょう、ある意味で「洗練された」言語表現となっていました。
 内容は、奔放な若い女性(ご寮人)に、精神も肉体も惹かれ同性愛の虜になっていく女性。弁護士である、その夫。さらに女性を翻弄しながらも一方では異性と関係する。その男は生殖能力に欠陥のある人間。三つどもえというか、四つどもえの愛憎渦巻く世界。
 最後は、夫と女性との三人で「薬」漬けの愛欲世界に陥り、心中を図り、二人は死に、一人は生き残る。その女性がことの一部始終を作者に語るという形式。
 内容云々もさることながら、全編を通しての言葉の機微がもたらす独特の語り口のおもしろさ。こうした言語表現のイントネーション、ニュアンスは、現在の関西にはまだまだ残っているのでしょうか?


ついでに(では失礼ですが)。井口昇監督脚本の「卍」予告編より。2006年3月、秋桜子と不二子の主演で映画公開。ちなみに井口昇さん。この映画の出来はどうだったか知れないが、映画(含むAV)監督、俳優・・・、特異なキャラで多彩な才能の持ち主の方。前に、「大人計画」の芝居で観たことがあったような(違う人かな?)・・・。
 

 

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