おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

東武野田線「藤の牛島駅」~伊勢崎線「東武動物公園駅」。その4。中川(放水路)の開削。天神橋。吉田橋。(「中川」を遡る。第6回目。)

2022-07-02 20:48:56 | 中川を遡る

                     前方が開けてきて、橋が見えてきます。

ここまで暑い日が続くとは、まったく思いもよらず。せめて、川沿いの、少しは涼しげな風景を。

といっても、♪利根の川風、袂に入れて、月に棹さす高瀬舟 という風情には残念ながらほど遠い「中川歩き」ですが。

もちろん、今日みたいな日に歩いたら、危険!

               

「天神橋」。

実は、現在の中川の流れと明治初期の様子はまるで異なっています。

この付近の今昔。

                     2010年代のようす。上に「天神橋」。

   周囲は、田園地帯。今の季節、田んぼの緑があざやかです。       

しかし、1880年代では、灌漑設備が整っていないせいか、水田は、わずかなようす。

                     1880年代のようす。沼地と細い流れがあるのみ。

  歩いてきた右岸の林の中の小道は、上の図で自然堤防のところのようです。その東側に中川が開削されました。

明治13年陸軍作成「迅速図」(※上図と同様、「歴史的農業環境閲覧システム」)には、越谷市、吉川市、松伏町にまたがる地域に現在の中川の流路がありません。これは当該区域の中川が後世(大正・昭和)に開削により造られたことを物語っています。

この地域の上流には庄内古川と呼ばれる川筋があり、松伏町金杉あたりで東へ屈曲して江戸川へ注いでいました。庄内古川は江戸時代寛永末から正保にかけて開削され、北葛飾郡北中部の悪水路(農業用排水路)として利用されていました。しかし、下流の地域は排水不良で水禽の遊泳地のような状況になっていました。明治になっても状況は変わらず、明治44年8月5日、庄内古川管理者北葛飾郡長武田熊蔵(※)から平田内務大臣に「江戸川改修ニ伴フ庄内古川前後処分ニ関スル意見書」等が提出されるなど、江戸川を改修するに併せて庄内古川の改修を要望する声が上がっていました。

既にこの時代に排水機場の設置など検討されていましたが、住民の賛同がなかなか得られない状態が続いたようです。しかし、金杉村(現在の松伏町金杉)の岡野平八という人が自己の資金で排水機場を設置して関係住民と請負契約をして排水を行っていたという記録が残っています。この効果が非常に大きく、明治39年以降この地域では悪水路普通水利組合が続々と設立されて、大正12年の排水機による治水対策が講じられました(出所:庄内古川外三悪水路改修工事概要)。

要望もあり、大正4年に内務省が中川改修を発表し、庄内古川を付け替えて大落古利根川に疎通することとなりました。江戸川に流入していた庄内古川の流末を松伏町金杉付近から人工的に開削して越谷市増森地先の大落古利根川につなぐといった大工事を断行したのでした。これにより吉川市大字川藤、大字須賀が吉川市から切り離されて飛び地となったのは、この開削工事の結果です。

この改修事業は、内務省東京土木出張所があたりました。当初大正11年度をもって終了する予定でしたが、大正14年度に変更され、さらに3か年度の変更があり、昭和3年にようやく工事が終了し、現在に至っています

このようにして現在の中川の流れが出来上がっています。

・・・

 中川については、大臣管理区間上流端から大落古利根川合流点までは、かつて江戸川へ合流していた庄内古川を中川へ付け替えた区間です。高水敷を持たず河岸の入り組み等も少なく、緩やかな田園地帯を流れる水路的環境となっています。この区間は、モツゴやタナゴ類など純淡水域の水生生物が見られますが、全体的に生物生息環境としては単調です。

(この項、「埼玉県」HPより)

「天神橋」(人道橋)を渡り、左岸を進みます。

下流を望む。

               右手の森がハグロトンボ生息地。

「天神橋」を振り返る。

左手に中川の流れ。

対岸。両岸とも土手は低い。

               土手と同じ高さに家屋。掘り下げた工事であることが分かる。

前方に橋が。

地面に放置されたままの親柱。「たかひらはし」とある。

上流を望む。

脇にアジサイなど草花が咲く土手の道を進みます。

           

「吉田橋」。

       右手奥に「幸手市東公民館」「郷土資料館」の建物が見えます。

ここまで、新しくなった「天神橋」を除き、「玉子橋」「高平橋」「吉田橋」と戦後すぐに建設され、似たような構造の橋が続きました。いずれも軽自動車以下の車のみが通行できる橋です。


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