おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「落語鑑賞教室」その18。七代目立川談志「源平盛衰記」。

2021-09-05 18:15:08 | 落語の世界

立川談志師匠。ちょっと斜に構えて登場しますが、深々とお辞儀を。

この方の高座でお辞儀のしかたは、他の方では見られません。

語り出すととたんに相変わらずの毒舌ときわどい話で満場の笑いを誘う。さすがです。

「源平盛衰記」といえば、この方の持ちネタ。先代林家三平師匠から伝授されたようですが。

「Wikipedia」によれば、

筋のようなものは存在せず、実際には「漫談」「地噺」と呼ばれるものに近い。古典の『源平盛衰記』との関連性はあまり深くはなく、落語全集の類でも話の題名が「源平」「平家物語」等と記されているほどである。

「祇園精舎の鐘の声~」のくだりをひとくさり述べたあと、『平家物語』の粗筋を断片的に話し、それに関係しているかしていないか微妙なギャグやジョーク、小噺(時事ネタなど、現代の話でも全くかまわない)を連発、一段落ついたところでまた『平家物語』に戻る、という構成がとられる。小噺で笑いを取るほうが重要で、極端に言えば『平家物語』は数々の小噺をつなぎ止める接着剤の役割にすぎない。

藤井宗哲は「高座に余りかかることはなく、別の言い方をすれば時事落語で、内容は演者によって大きく変わる。いわば落語家のセンスによって変化する落語である。落語界では、(『源平盛衰記』のような)地ばなしを行う噺家は軽視されているが、この話は江戸初期の落語草創期の形態を残すものだと考えられる。演じている落語家は立派である」と述べている。

落語家の7代目林家正蔵、初代林家三平、10代目桂文治、七代目立川談志らの得意ネタとなっていた。

元々は「源平盛衰記」といえば7代目林家正蔵の十八番であり、これを東宝名人会で聞き覚えていた息子の初代三平が後輩の柳家小ゑん(後の談志)に伝授した。

これにより、「源平」は多くの落語家に演じられるようになった。演者ごとのストーリーの例を大まかに記すが、実際には筋はないので、口演ごとに異なっていた。

特に談志のものは初代三平から教わった「源平」に吉川英治の『新・平家物語』のエッセンスを加えたものである。

マクラ(歴史上の人物の評価の変遷について)→平家物語冒頭→義経と弁慶の出会い→平家追討令下る→義仲入京→義経頼朝黄瀬川対面→義仲討ち死に→扇の的→ソビエト崩壊についての小噺→壇ノ浦の戦い

なお、談志が演じた源平盛衰記にはサゲが無く、平家物語の冒頭部分を最後に再び語るが、元の三平や文治が演じた源平盛衰記には地口落ちのサゲが存在する。

注:桂文治(十代目)のサゲ

・・・(時子が義経に首を切られるときに平家方の教経が止めに入る)

時子すこしも騒がず、声朗らかに辞世を八木節で、♪「あ~あ、さても一座の皆さま方よ、ちょいと辞世を読み奉る。長門壇の浦で切らりょとままよ」

義経♪「抜いた刀がしまわりょか、よいしょ」、教経も仕方なく「ピッ、ピッ、ピィヒャララ・・・」と踊り出した。

能登守が踊ったばっかりに、平家が西海に没落した。「踊れる(おごれる)平家は久しからず

談志師匠。マクラでは、戦争についての解釈を披露、そのうち、横山ノック、毒蝮三太夫、さらにニュートンなどの歴史上の人物をあれこれ批評・・・、やっと本題に入る。「源平盛衰記」を、と。

七代目立川談志。

古典落語に広く通じ、現代と古典との乖離を絶えず意識しつつ、長年にわたって理論と感覚の両面から落語に挑み続けた。古典落語を現代的価値観・感性で表現し直そうとする野心的努力が高く評価されたが、その荒唐無稽・破天荒ぶりから好き嫌いが大きく分かれる落語家の一人でもあった。落語のみならず、講談漫談をも得意とするなど、芸域の広さで知られた。自ら落語立川流を主宰し、「家元」を名乗る。参議院議員(1期)、沖縄開発庁政務次官三木内閣において36日間)、サイバー大学客員教授などを歴任した。

落語家としての全盛期の実力に対する評価は概して高いものの、直情径行な性格により数々の過激な争いを起こし続けており、敵を作ることも厭わない「暴れん坊」ぶりもあって、毀誉褒貶の激しい人物でもある。談志の落語で特筆すべき点は、師匠から受け継いだ型を大事に伝承する古典落語において、「己を語る」独自の型を発明したことである。現代に生きる人々の価値観や美意識を内容に投入し、噺の途中で「このストーリーのここがおかしい」「こういう人情は違う」と、談志の意見や解説、哲学が入る。故に「客は『噺』ではなく、『談志』を聴きにくる」と言われたほどである。その芸を邪道とする意見も少なくなかったが、熱心なファンを獲得し続けた。

落語そのものについては、「落語とは、人間の業の肯定である」との見解を常々表明していたが、晩年は「イリュージョン」という独自の域に達したと自認していた。

志らくおよび談笑は、イリュージョン落語について以下の特徴を挙げている

  • (落語は、マクラも含めて)己れ(=談志)の感覚でしゃべるもの
  • 登場人物が談志と被っている
  • 落語ではなく談志という人間が面白い

               

            

画像だけでは、談志師匠の奇想天外でありながら筋立てがしっかりしているお噺(語り口)のすばらしさが分かりません。

ぜひ「youtube」で御覧下さい。ついでに先代林家三平師匠の「源平盛衰記」もあわせて。


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