寄席では、落語を2本見せると、次は必ず落語以外の演芸を見せる。紙切りを始めとして、漫才、漫談、奇術、太神楽、三味線漫談、ウクレレ漫談、バイオリン漫談、ものまね、など、目先の変わる芸を見せる。
落語2本あると、必ず次は「楽しい演芸」となる。
「紙切り」といえば、林家正楽さん。お客さんの注文に応じてハサミ一つで紙を切る。実に味のある芸でした。
「切れない」と言わない寄席紙切り芸の第一人者、林家正楽さん死去…76歳 2024/01/26 12:30
東京都出身。高校卒業後、会社勤めを経て1966年に二代目林家正楽に入門した。林家小正楽を経て2000年に師匠の名跡を継いで三代目正楽を襲名。
どんな注文でも「切れない」とは決して言わず、ひょうひょうとした一人語りと共に体をユラユラと動かし、短い時間で紙を切り抜くスタイル。寄席でトリの一つ前に出演する色物「膝代わり」の代表選手として信頼も厚く、20年に芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)、23年に松尾芸能賞の功労賞を受賞した。今年度の浅草芸能大賞の大賞にも選ばれていた。(この項、「讀賣新聞オンライン」より)
この正楽さんの一番弟子「林家楽一」さん。
紙とハサミとトーク。
「あかね噺」にちなんで。
イラストを見ながら。
続いて、
太鼓や笛などは二つ目・前座の担当。
「さつまさ」。
「ワンピース」より
「太神楽」。
中学2年で太神楽師を志すが、国立劇場太神楽研修生の募集要件が中学卒業以上から23歳までというものであり、第7期募集時は中学3年であったため応募できなかった。そのため、直接鏡味仙三郎に入門志願を行い、1年間の稽古を経て第7期の3年間の課程の2年目に聴講生として編入している[2][3]。
研修を修了した2014年4月に仙三郎に入門。芸名「仙成」。落語協会での前座修行に入る。
2021年に師匠仙三郎が死去。兄弟子鏡味仙志郎と共に鏡味仙志郎・仙成を結成。同年3月、令和2年度国立演芸場花形演芸大賞銀賞を受賞。
司会を担当していたのは、林家けい木さん。
八っつあんが隠居のところに遊びに来た。「鶴の面白い話をしてあげよう。鶴は昔『首長鳥』と言ったんだ。それが鶴となったんだよ。大昔のこと、白髪の老人が遙か沖の方を眺めていると、唐土の方から雄の首長鳥が1羽『つ~』っと飛んできて、巌頭の松に『ポイ』と留まった。その後から雌の首長鳥が『る~』っと飛んできて、『つる』になったんだよ」、「えぇ?ツーと来てルーと来たから鶴になったんですか。『ヘー』と来て『ビー』と来たら今頃ヘビになっていたな」。もう一度その話を聞いて、飛び出した。
「昔は首長鳥と言ったんだが、どうして鶴というようになったか、知りたいだろう」、「知りたくない」。聞けとうるさく迫った、「俺は忙しいんだ。早くしろよ」。
「大昔のこと、白髪の老人が遙か沖の方を眺めていると、唐土の方から雄の首長鳥が1羽『つ~る~』っと飛んできて、巌頭の松に『ポイ』と留まった。その後から雌の首長鳥が・・・。(沈黙、首をかしげて)昔のこと、白髪の老人が遙か沖の方を眺めていると、唐土の方から雄の首長鳥が1羽『つ~る~』っと飛んできて、巌頭の松に『ポイ』と留まった。その後から雌の・・・。さようなら」。
もう一度、隠居に教えててもらうと「つーとるーを離すんですね」。
「源ちゃん、さっきの話ねぇ~~」、「まだその話しているのか。仕事をしろよ」、「大昔のこと、白髪の老人が遙か沖の方を眺めていると、唐土の方から雄の首長鳥が1羽『つ~』っと飛んできて、巌頭の松に『る』と留まったんだよ。その後から雌の首長鳥が、ん?・・・。大昔のこと、白髪の老人が遙か沖の方を眺めていると、唐土の方から雄の首長鳥が1羽『つ~』っと飛んできて、巌頭の松に『る』と留まったんだよ。その後から雌の・・・。(泣き声になって、もう一度言ったが、雌が)・・・」、「こいつ泣き出したよ。それで雌はなんて飛んできたんだよ」、「黙って飛んできた」。
噺の内容が単純でわかりやすい。次の回では「寿限無」を。これからの成長を期待。
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