おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

東京都港湾局専用貨物線・晴海線跡。

2014-05-06 20:48:06 | 鉄道遺跡
 「Googleニュース・マイナビニュース」を見ていたら、「晴海線」跡が掲載されていました。もう5年前くらいに探索したことがありました。当時はブログに写真を掲載するしかたもよく分からず、1枚のみしかアップ出来ませんでした。
 今回、改めて懐かしくなり、当時保存していた写真を取りだして再アップしてみました。現在もほとんど変わらない様子ですが。(写真は、すべて2009年9月撮影。)
 「晴海線」は、東京都港湾局専用線で、東京湾の埋立地・埠頭を結ぶ貨物線でした。起点は江東区塩浜の「越中島貨物駅」。さらに、小名木川(廃止)、新小岩を結んでいた非電化専用線。そこから葛飾区金町駅を経由して、常磐線で茨城方面にまで輸送していました。現在も「越中島」~「金町」~「鹿島」は現役の線路として使用されていて、何度かこのブログでも取り上げています。

「越中島貨物駅」構内。ここまで線路が続きます。


その先は都有地。中央奥が「三つ目通り」。

この付近の1970年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。中央の通りは「三つ目通り」・首都高の橋脚。
現在もこのままなのでしょうか?

土盛りしたまま残っている線路跡です。


線路跡が駐車場スペースに。微妙なカーブがそのまま残っています。奥の方が「越中島」方向。
 振り返ると運河には・・・。
運河に残っている橋脚。対岸は、豊洲方向。


高層ビルが建ち並ぶ地域。

1970年頃のようす(「同」より)。「晴海運河」に架かっている橋梁。

 その先には、別の橋梁が線路もそのままに、しっかり残っています。

春海橋からの橋梁(2009年当時のようす)。対岸は、「石川島播磨重工業」跡地の高層マンション群。
ぽつんと橋梁のみ残されています。奥は、「アーバンドックららぽーと豊洲」。


1970年代のようす(「同」より)。「春海橋」に並行して運河に架かっているのが「晴海橋梁」。南側が旧「石川島播磨造船(重工業)」の広大な敷地。船舶に接するように橋が架かっています。


2010年代のようす。橋脚はすっかりさびていますが、きちんと残っています。

 西側(晴海埠頭側)は大きな再開発工事中のためようすはうかがえませんでした。
 しばらく西にむかった倉庫会社の構内にはまだ線路が残っています。
右手付近。アスファルトの表面にかすかに線路が。

晴海線から分岐していた豊洲線は、痕跡はまったく見当たりませんでした。「東雲運河」沿い。


柵の内側に線路が続いていました(はずです)。


埠頭沿いの古いコンクリート壁。
 
 しかし、5年過ぎてもほとんど変わらず残されているとは思いませんでした。


 

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