おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

67 五間堀、六間堀、池波正太郎の世界

2009-05-25 20:18:20 | 歴史・痕跡
 両国駅を出て清澄通りを南に下って行くと、江東区森下町界隈。地図で確認すると、三角形に区切られて区界がある。道路も清澄通りを横切っている。顕著な道筋ということが分かる。区界が新大橋通りと清澄通りという二本の大きな通りで区切られているのではないことに気づく。ここに、五間堀と六間堀があった。もともとは、本所の竪川と深川の小名木川をつなぐ(小名木川まで開通するのは後代)の堀割。
 写真は、五間堀公園、五間堀の跡。都営地下鉄「森下町」駅の地上入口付近。清澄通りを渡ったところには、「弥勒寺橋」跡の標識があり、六間堀のいわれも記されている。この辺りは、東京大空襲で瓦礫が川筋に埋まってしまった。そのためか、戦後すぐに埋め立てられ、今は跡形もない。区界なのがその唯一の「痕跡」。
 この辺りは、「鬼平犯科帳」の世界だ。
 
 六間掘川南端にかかる猿子橋の西たもとは、右が幕府の御籾蔵、左が深川元町の町家であった。その御籾蔵の角地へうずくまっている市口瀬兵衛の前に、現れる長谷川平蔵。「市口さん。いよいよですよ」「天下泰平の世にお笑いくださるな」「何をもって」「かほどのわが子は可愛いものでござる。そのわが子を討った仇が、なんの罰も受けず、ぬくぬくと暮らしておること、許せませぬ」「私も三人の子持ちでござる。よろしいか。私が先に出て行って、浪人どもを駕籠から追い払う。そのとき名乗りをあげて、突きかかるがよろしい」「はい」
 平蔵は瀬兵衛老人のやせこけた両肩を優しく何度もさすってやる。「ご老体。死ぬるということは、思いのほか簡単なものらしい。いざとなれば、少しも恐ろしくないそうな」そして駕籠がやってくる。平蔵は峰うちにして浪人や駕籠かきどもを追い払う。駕籠の中から海坊主のような大男が出てくる。「山下藤四郎。市口伊織が父、瀬兵衛清定ぞ」かすれ声を振り絞って名乗る瀬兵衛。山下藤四郎は信じられぬ顔つきになる。そんな山下に瀬兵衛は腹へ刀を突き込む。
 翌朝になって、平蔵は役宅に戻る。与力や同心たちが緊張の面持ちで平蔵のそばに駆け寄る。長官が二夜も役宅を留守にしたのだから、何か異変があったと思うのが当然であった。「なんでもない。ちょいと遠出をしたのだ。たまにはよかろう」長谷川平蔵は寝間の床にもぐりこむ。目を閉じると、今朝暗いうちにお熊の茶店から去った市口瀬兵衛の小さな後姿が浮かんできた。瀬兵衛は妻と二年も会っていなかった。(ふふ。猿子橋界隈は、昨夜の事件で大変なことだろう。それにしても、あの老人、どこの家中だったのか)もう考えをめぐらすのも面倒になり、平蔵はここちよい眠りの底へ落ちていった。(池波正太郎『寒月六間堀』より)

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