おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書8「大江戸岡場所細見」(江戸の性を考える会)三一書房

2009-08-12 23:39:54 | つぶやき
 岡場所の「岡」は局外の意味で、岡目八目、岡惚れなどの「岡」に当たり、唯一の公認遊里・新吉原を「本」場所と考えていたのに対して、それ以外の遊所を意味する言葉。
 新吉原は、格式も高く、玉代が高いほかに、いろいろなしきたりなどがあったが、岡場所は、代金も安く、気軽に遊べる場所として利用されていた。

一、前々より禁制のごとく、江戸町中端々に至迄、
  遊女の類、隠置くべからず。                     
  もし違犯のやからあらば、其所の名主・五人
  組・地主迄、曲事たるべきもの也。                   
   
 この一条は、新吉原大門口に立てられていた高札の文言であるが、自然発生的な私娼をすべて阻止することはできなかった。 
 多くは個々の意志によって、その営業地域を選択する。街頭に立ち客を引く者、水茶屋女、出合い茶屋を舞台に稼ぐ者、橋下や苫船(とまぶね)をねぐらとして出没する者・・・。
 一方、一定の地域で密淫売の組織を形成する。多くは神社・仏閣の門前町に巣喰い、休茶屋・水茶屋を揚屋(遊女のために提供される座敷)として営業する、あるいは、埋め立て新地の料理茶屋が、当局のお目こぼしによって売女を置きこれを基盤として花街を形成する場合もあった。
 こうして、江戸の売娼地帯は、次第にその規模を拡大していった。これらの私娼屈を総称して岡場所と呼んだのである。
 当時の江戸人口は百万余で、男女の人口比でみると、恐らく女は二十パーセントにも満たない。この大都市に、公認遊廓が新吉原一つのみ、半公認の四宿(品川・千住・板橋・新宿も、広い意味では岡場所に入るが、四宿の宿場女郎は、条件つきながら一応官許であった)を加えても、江戸の性的な秩序・治安を維持することは困難だったに違いない。
 三田村蔦魚編の『未刊随筆百種』第十六巻所収の「御町中御法度御穿鏨遊女諸事出入書留」には、寛文八年(1668)から享保五年までに行われた私娼詮議の記録が書き留められている。いずれの場合も、吉原町の方で実証を握り、しかる後に訴願に及び、同心衆を案内して現場に急行し、私娼を捕えるというもの(「警動」という)で、実証がなけれぱ官憲は動かないのである。こうしたやや消極的な取締り当局の尻をたたきながら、吉原方は一応警動の実効をあげてきた。
 捕えられた私娼は一括「新吉原町へ被下置侯」ということで、廓内妓楼主人の入札によって競売に付せられたのである。女たちは「三年当所へ被下置侯得ぱ」(寛攻七年十二月『新吉原町定書』)とあるように、吉原にて三年間無償の廊勤めをしなけれぱならなかった。。
 もっとも、警動による岡場所遊女の注入は一時的なもので、期限が来れぱ帰されるわけだが、天保改革の折には、遊女屋をつづけたい岡場所の楼主たちは、吉原への移住を命ぜられたのであった。こうして、天保十三年の夏以後、未曽有の遊女移助が行われた。
平賀源内(ひらがげんない)の戯著『風流志道軒伝』(宝暦十三年)は、このころの江戸岡場所の分布について、次のような地名をあげている。
深川・土橋・三十三間堂・直助屋敷・入船町・石場・佃・新大橋・御旅・一ツ目・鐘撞堂・山猫・大根畑・鮫ヶ橋・万福寺・朝鮮長屋・いろは・ぢく谷・世尊院・御箪笥町・音羽町・根津・赤城・薮の下・愛嬌稲荷・市兵衛町・氷川・同朋町・丸山町。
天保(1830~1844)末年に石橋真国の著わした『かくらざと』下巻には、寛政の改革の折りに廃せられた岡場所として、次の五十六ヶ所をあげている。
蒟蒻島・浅蜊河岸・中州・入船町・三十三間堂・土橋・直助屋敷・新六軒・横堀・井の堀・大橋(東・西詰)・六間堀・安宅・大徳院前・回向院前土手・六軒・亀澤町・朝鮮長屋・三島門前・浅草広小路・どぶ店・柳の下・万福寺門前・馬道・智楽院門前・新鳥越・多町・山下・牛込行願寺・赤城社前・市ヶ谷八幡前・愛敬稲荷・高井戸・青山・赤坂・氷川・麻布高稲荷・芝神明前・三田同朋町・赤羽根・芝横新町・芝車町・高輪・牛町。
 寛政改革をくぐり抜けて生き残った遊里三十二ヶ所を加えると、天明の盛時には優に八十ヶ所を越した岡場所が、江戸市中から近郊にかけて散在していたことがわかる。(以上、出典:佐藤要人「岡場所の客と遊女」歴史と人物 中央公論社)
 この本は、そうした背景を持つ「岡場所」を当時のままにたずね歩くという趣向になっている。「絵の介」と「もさ引きの文造」(「もさ引き」とは、一種の観光案内業者のこと)の二人が登場人物。上記にあげられた場所を歩く。その間には、「警動」あり、人助けあり、女性達の悲しみあり、苦しみありでけっこう読み物風になっている。ただし、現代の場所の写真も添えられているが、あまり効果的ではない。さらに、「浮世絵」(俗に言う「春画」)がふんだんに挿入されているのは、意図も含めて、興味深い。
 終わりに「時代が変わるとともにはかなく地上から消えてしまい、私娼とか売女とよばれた女もすべて歴史の彼方へと去ってしまった。・・・すべての日本人にとってこのような岡場所の風俗はどこか懐かしいものがあり、それでいて、ものの哀れを感じないわけにはいかなかった。」とあるが、私にはこうした言い方には抵抗感があった。いったい「ものの哀れ」とは何を指しているか、忘れ去られた理想像としての「郷愁」ならば、それは違うと思う。それが登場人物の二人の、苦界という対象世界から常に一歩身を引いた、冷めた表現になっているのではないか。
 一方で、こうしたジャンルについて、以前から「三一書房」では、取り組んでいる点には、敬意を表したい。

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