「158.5㎞」ポスト。
河川敷には車が数台。
土手下は大きな屋敷林のある家々が続きます。
利根川総合運動公園 葛和田サッカー場。定期バスの停留所もあります。
この右岸には、「葛和田の渡し 葛和田渡船場」。左岸には、「赤岩渡船場」(群馬県千代田町)があります。
埼玉県道・群馬県道83号熊谷館林線の代替渡船であり、利根川上で唯一の「水上県道」扱いで運賃は無料である。
群馬県営で千代田町に運営が委託されていることから、渡し舟は千代田側に居ることが基本となっており、堤防の中腹に建っている小屋に待している船頭へ直接声を掛ける。一方、葛和田側から乗る場合には桟橋から150m程手前の河川敷上にある熊谷駅行きバス停前に設置されたポールに黄色の旗を揚げて合図し、千代田側の船頭へ利用の意思表示をする。
なお、自転車や原付バイクも載せることが可能で、周辺住民のほか、利根川沿いのサイクリング客の利用もある。利用者数は年間平均2万人程度となっている。
歴史的には「赤岩の渡し」とも呼ばれる。熊谷側では「葛和田の渡し」とも呼ばれる。なお、この地点で渡船を使わずに陸上を迂回して対岸に行くには、下流側4〜5kmの武蔵大橋か、上流側6〜7kmにある刀水橋まで遠回りしなければならない。(この項、「Wikipedia」より)
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葛和田の渡し(赤岩渡船)は埼玉県熊谷市葛和田と群馬県邑楽郡千代田町赤岩の間を通る利根川の対岸同士を結ぶ渡船です。埼玉県道・群馬県道83号、熊谷館林線の代替渡船で、県道の一部として位置づけられる『県道扱いの渡し船』です。
■葛和田の渡し(赤岩渡船)の由来
文献には、永禄年間(1560年頃)に上杉軍の渡過に使われた記録もある歴史ある渡船。江戸時代には年貢米や参勤交代の荷物をはじめ、生活物資等の集積場としても賑わいました。明治時代の中頃には鉄道等をはじめとする交通機関が発達したため、渡船場としての機能だけが残りました。大正15年(1926年)からは群馬県が運営し、昭和24年(1949年)に群馬県から千代田町へ運営が委託されました。
■葛和田の渡しに乗ってみよう!
渡し船は基本的に千代田側に接岸されており、葛和田側から乗るには土手下の待合所に設置しされたポールに黄色い旗を揚げ、千代田側に合図して船の到着を待って乗船することができます。(乗船の際の注意点は、渡船場掲示板に明記されています)
車だと通り過ぎるだけの利根川も、渡船でゆったりと景色を楽しみながら渡ってみてはどうでしょう。自転車(原付バイク)の乗船も可能で、周辺のサイクリングコースの一環として利用することもできます。
(この項、「」HPより)
対岸(左岸)には、渡し舟が停泊中で目視できますが、写真は曇りのため撮ることができません。残念!
右岸「葛和田渡船場」。
左岸「赤岩渡船場」。(「Googleマップ」より)
(「歴史的農業環境システム」より)
なお、「赤岩渡船場」には、常夜燈等のモニュメントがあるようです。
対岸(群馬県千代田町方向)
「妻沼滑空場」が近づいてきます。
グライダーが何機も駐機しています。上空にはグライダーが。
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