おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

電撃ネットワーク。宇崎竜童。「The4rd Sumida Street Jazz Festival」。その2。

2013-08-19 19:20:09 | 世間世界
 二日目。かなり暑い! 最初は、「鈴木興産」。ここの門前には、二つの公演のポスター。練習会場になっているのでしょうか、時々通ると、お目当ての出演者を(有名な俳優陣も来るらしい)待ち構えるファンもいます。
「かもめ」は観てみたい。
「北斎通り」と「大門通り」との交差点近く。「アルカウエスト」のコンコース・フロア。ビッグバンドの演奏。涼しい階段に座ってじっくり。
JRAの裏手。もうずらり並んだ屋台風の飲み屋は馬券買いのお客さんが。その角で、演奏。昔懐かしい一角です。
錦糸町駅南口・丸井の店先。
南口広場。けっこう人通りが激しいが、立ち止まる人は少し。競馬新聞に見入る人が目につきます。
「LIVIN」の前。若い演奏者たち、西日をいっぱいに受けて頑張っています。ここは、正しくは「東京楽天地」ビル。大昔には、ここには「汽車製造工場」があって、駅前には伊藤左千夫の営む牧場があったとは・・・。
見上げると、天井に映る姿。
錦糸町駅北口。すてきな女性ボーカルのチームが演奏。激しい風に楽譜も飛ばされる中、負けずに。
メイン会場の一つ。訪れる皆さんは場慣れしていて、簡易な折りたたみいすを持参しています。必需品?
若い男性4人のコーラスチーム。全員「絶対音感」の持ち主だとか、すてきなハーモニーでした。見ている方もゆうくり落ち着いた雰囲気で。
やけにハイテンションなグループ。割り箸をお尻に刺して割ったり、牛乳を飲んで眼から出したり、股間をゴムで打ったり、らしいですがよく見えなかった。・・・、異様な盛り上がり。
初めて生で見ました、「電撃ネットワーク」。「ジャズ」を楽しみにやって来たお年寄りには、かなり刺激的。でも、おもしろい!
 盛り上がった最後に、訴え。メンバーの一人が重い肺がんに。あんな過激で卑猥なパフォーマンスの陰に。あれじゃあ常人ならとっくに病気になってしまいます。が、体を張っての演技に対しては。
 そこで、こちらも「応援」のつもりで。
「gree.jp/nambu_torata/blog/entry/670807001 2013/08/04 - 南部虎弾 公式ブログ/」を転載。

がんばれ三五十五!」電撃ネットワークの『電撃魂』Tシャツ販売スタート!
ホームページでもご報告させて頂きましたが電撃ネットワークのメンバーである三五十五がかなり重い肺癌の療養に入りました。
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皆様のご声援の程、何卒よろしくお願いします。
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内税表示
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 以上、つい情にほだされて・・・。

すでにとっぷりと日も落ちて。30分以上、押しています。まさに「たそがれ時」。「オリナス」の明かりがくっきりと。
お目当ての宇崎竜童さんが登場する頃にはとっぷり暗くなって舞台だけが煌々と。一段と盛り上がってきました。が、携帯写真ではもう撮れない明るさ、残念!

 盛大な拍手と歓声でむかえられた宇崎さん。『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』、『イミティションゴールド』『想い出ぼろぼろ』など懐かしい「歌謡曲」を、さすがジャズ調にアレンジしてのすばらしい熱唱でした。
 サングラスを観客に向かっていくつも放り投げ、そのたびに、隣の二人連れの60代前半のおばさん「サングラスを取るとかわいいわね。」「私たちと同じくらいの年齢のはずよね。」・・・。そんな年回りなのか、彼もすでに、と思わず・・・。そういえば、耳に補聴器のようなものをつけていました。
 さっそく「Wikipedia」で調べたら。

 宇崎 竜童(うざき りゅうどう、1946年2月23日 - )は、日本のロック歌手、作曲家、俳優、映画監督。京都府京都市出身。
 1970年代中期から1980年初頭にダウン・タウン・ブギウギ・バンド、1980年代中期から1990年代初頭に竜童組、1990年代中期から後期に宇崎竜童 & RUコネクション with 井上堯之を率い、バンドの活動の合間にソロとしても活動する。
 妻は作詞家の阿木燿子で、「作詞阿木・作曲宇崎」のコンビは山口百恵の全盛期を支えた。
 ついでに「Wikipedia」から写真も拝借。この写真通りの本人でした(当たり前ですが)。


 と、なるほど。昭和21年生まれ。もうすでに67歳なのか。元気ですね! この世界には、「老年の星」がまだまだたくさんいるようです。もう数え切れないくらいのすばらしい楽曲を世に出してきています。(なお、過酷な作曲、演奏活動の末に難聴を患い、音楽活動を控えた時期もあった。現在は補聴器を使用しながら作曲などをこなしている、ともありました。)
 少し元気をもらったようです。感謝、感謝。7時間以上、気がついたらわずか200ccのポカリしか飲んでいなかった! 脱水症状になりそうな・・・、年寄りの冷や水(は必要)でした。

実行委員長が1歳になる我が子をだっこしての挨拶。いつまで続けられるか、子供たちの為にも頑張っていこう! との挨拶が印象的でした。

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