おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

2月19日。雨水(うすい)。ふきのとう。朧月夜。「獺祭」。

2024-02-19 20:48:29 | 世間世界

フキノトウ。

             (「向島百花園」にて)

暦の上で今日が「24節気」の2番目「雨水」です。「立春」(2月4日)から数えて15日目ころ。3番目の「啓蟄」(3月5日)までの期間を指します。

雨水(うすい)とは、降る雪が雨へと変わり、雪解けが始まる頃のこと。草木が芽生える頃で、雨水は農耕を始める時期の目安とされてきました。春一番が吹くのもこの頃ですが、本格的な春の訪れにはまだ遠く、時に大雪が降ったりもします。こうして三寒四温を繰り返しながら、本格的な春に向かいます。

『暦便覧』には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されている。実際は積雪のピークであり、それゆえ、この時節から寒さも峠を越えたと見ることもできる。(「Wikipedia」より)

※インフルエンザが相変わらず流行中。さらに花粉症が大流行の兆し。新型コロナ感染症も衰えず・・・。

今日あたりでも、皆さん、しっかりマスクを着用しています。

高齢者など、かえって油断してはならない時期となっているとも。

「七十二侯」でいうと、

・初侯 2月19日〜2月23日頃

土脉潤起 つちのしょううるおいおこる

冷たい雪が暖かい春の雨に代わり、大地に潤いをあたえる頃。寒さもゆるみ、眠っていた動物も目覚めます。

・次侯 2月24日〜2月28日頃

霞始靆 かすみはじめてたなびく

霧やもやのため、遠くの山や景色がほのかに現れては消え、山野の情景に趣が加わる頃。春に出る霧を霞(かすみ)と呼び、夜の霞は朧(おぼろ)と呼ばれます。

※中国からやってくる「黄砂」の影響のようですが。

朧月夜』作詞高野辰之、作曲岡野貞一

  1. 菜の花畠に、入日薄れ、
    見わたす山の、霞ふかし。
    春風そよふく、空を見れば、
    夕月かかりて、にほひ淡し。
  2. 里わの火影ほかげも、森の色も、
    田中の小路をたどる人も、
    かはづのなくねも、かねの音も、
    さながら霞める 朧月夜。                                           

朧月夜(おぼろづくよ、おぼろづきよ)

源氏物語』の登場人物。六の君、有明の君、尚侍君(かんのきみ)とも呼ばれる。

※「花宴」の巻で初めて登場し、以降、「葵」、「賢木」、「須磨」、「澪標」、さらに「若菜」上下などに登場する。

「朧月夜」は、大江千里和歌「照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしく(似る)ものぞなき」を口ずさみながら源氏のもとに現れるところから物語が展開する。当時権勢を誇った桐壺帝の右大臣の六の君(六番目の娘)で、弘徽殿女御の妹という高貴な生まれだが、作中では珍しい艶やかで奔放な気性の女君である。

姉弘徽殿女御の産んだ東宮(後の朱雀帝)女御に入内する予定だったが、宮中の桜花の宴の夜に思いがけなくも光源氏と出会い、後に関係が発覚して入内は取り止めになる。葵の上の死後、右大臣は源氏と結婚させることも考えたが、弘徽殿女御が猛反対し、源氏自身も既に紫の上を妻にしていたため実現しなかった。

始め御匣殿別当として登華殿にあり、後に尚侍(ないしのかみ)となって弘徽殿に移る。その美貌と当世風で華やかな人柄から朱雀帝の寵愛を一身に受ける一方、源氏との逢瀬も密かに続けていた。朱雀帝は自身が源氏の魅力に及ばぬことを認め、朧月夜を責めなかったが、彼女との関係が発覚したことが右大臣と弘徽殿大后の怒りを買い、源氏須磨流しの一因となった。

源氏が須磨に流されていた時に父の太政大臣(元右大臣)が死去。朱雀帝退位の後に再び源氏と関係を持つが、最後は源氏にも告げずに院の後を追い出家、物語から退場する。

※「右大臣」は、源氏の政敵。源氏は、政敵の娘との恋愛関係になった。源氏が20歳のころ。

 (この項、「Wikipedia」参照)

・末侯 2月29日〜3月4日頃

草木萌動 そうもくめばえいずる

足もとや庭木の先にほんのりと薄緑に色づく芽が見られる頃。やわらかい春の日差しの中、草木が芽吹き、新しい命が生まれます。

《旬のもの》

野菜 春キャベツ

魚介 蛤

野菜 辛子菜

言葉 獺魚を祭る(かわうそをまつる)

中国古代の天文学での七十二候では、雨水の初候は「獺祭魚(かわうそをまつる)」でした。かわうそが捕らえた魚を川岸に並べている様子が、人が祭りのときに物を供える様子に見えたことから生まれた季節の名前です。

(この項、「暦生活」HP等参照) 

正岡子規は、雅号として「獺祭書屋主人」を使っている。そのため、9月19日の命日を「糸瓜忌」と並んで、「獺祭忌」とも呼ばれている。

「獺祭」という日本酒。同社のHPには「獺祭」命名由来を以下のように語っている。

『弊社の所在地である獺越の地名の由来は「川上村に古い獺(編集部注:かわうそ)がいて、子供を化かして当村まで追越してきた」ので獺越と称するようになったといわれておりますが(出典;地下上申)、この地名から一字をとって銘柄を「獺祭」と命名しております。獺祭の言葉の意味は、獺が捕らえた魚を岸に並べてまるで祭りをするようにみえるところから、詩や文をつくる時多くの参考資料等を広げちらす事をさします。獺祭から思い起こされるのは、明治の日本文学に革命を起こしたといわれる正岡子規が自らを獺祭書屋主人と号した事です。「酒造りは夢創り、拓こう日本酒新時代」をキャッチフレーズに伝統とか手造りという言葉に安住することなく、変革と革新の中からより優れた酒を創り出そうとする弊社の酒名に「獺祭」と命名した由来はこんな思いからです。』

(この項、「風の旅行社」HPより)

暖冬とはこういうものか! という昨今のお天気。

東京地方。15日には21度、「春一番」が吹きました。そして、今日は、「雨水」そのもの。予想よりも気温は高くならなかったようですが。

各地で早くも桜の開花が。

ここは、すでに満開の「寒桜(元朝桜)」。

(1月27日。南房総市にて)

次は、「啓蟄」3月5日。


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