おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

『第一回あかね噺の会』・春風亭一朝「三方一両損」。(「落語鑑賞教室」その4。)

2024-08-13 19:13:21 | 落語の世界

「あかね噺連載1周年記念」。トリは、春風亭一之輔の師匠である「春風亭一朝」。

 落語家・春風亭一朝(72)は寄席に欠かすことのできない存在だ。江戸前の語り口でトリでの熱演はもちろん、浅い出番でサラッとつなぐこともできる。・・・寄席を大事にする思いは、弟子の春風亭一之輔(45)ら一門弟子にも受け継がれている。

 そもそもは大師匠にあたる8代目林家正蔵(後の彦六)に入門志願した。当時、正蔵にはあとむ(現・八光亭春輔)、九蔵(現・三遊亭好楽)の2人が前座にいたため、正蔵から総領弟子の5代目柳朝を紹介され一番弟子となった。初めての弟子をもった柳朝は楽屋でこう宣言したという。「ウチに入った弟子だからな! いじめたら張り倒すぞ、この野郎」。一朝は「助かりましたね」と述懐する。

 修業も一風変わっていた。当時は師匠宅で住み込みで掃除や洗濯など身の回りの世話をするのが通常だったが、柳朝は違った。「お前はウチに女中に来たわけじゃないから、掃除などはやらせない。ウチにも来なくていい。とにかく稽古しろ」。噺を教わる先輩も柳朝が選び、頼んでくれた。「師匠はその日の気分によってやるたびに違っちゃう。『基礎ができていないとダメだ』と前座のころはあまり稽古してくれなかったです。二ツ目になってからはボンボンやってくれましたけど…」。柳家小三治、9代目入船亭扇橋、三遊亭円窓、三遊亭円弥らから多くの噺を教わった。「小三治さんは(二ツ目の)さん治時代でしたからね」。柳朝が見込んだ噺のしっかりとした落語家から薫陶を受けた。「一月で5、6席覚えましたよ。稽古は苦しいけれど癖がつくと覚えるのが早くなるんです」。前座で覚えた噺は120を越えた。「1回覚えた噺は何十年やっていなくても、聞き直すとだんだん出てくるんです。忘れていない。面白いもんですね」

 現在は6代目柳朝、一之輔、三朝、一左、一蔵の5人の真打ちを含め10人の弟子がいる大きな一門になった。一朝一門の掟は「うそをつくな」「稽古しろ」だという。弟子の指導も師匠・柳朝のやり方を踏襲している。「一之輔も色んな人に頼んで稽古を付けてもらいました。色んな人に教わると、いいところが所々出てくるんです。そして自分にあった人が出てくるんです。その人だけに教わっていると、“小型化”みたいになる。(弟子で)私に似ているやつは誰もいないです」と笑った。

 弟子のことを語る一朝のまなざしは優しい。一之輔の真打ち昇進披露興行では、期せずして師弟で毎日ネタを変えたという。「せっかくだから同じ噺をやっても…と思っていたら一之輔も(毎日)変えてきた。そうしたら新宿(末広亭)の5日目だったかな。一之輔が『もう勘弁してください。大人げないですよ』と言ってきた。私は『どこまで続くかな。こいつも強情だから』と思っていたんです。楽しかったですよ」。

 初めて会ったときのことも鮮明に覚えている。「第一印象というか『この子なら大丈夫だな』という判断はだいたい当たっています」と一朝は言う。「一之輔は、(緊張で)どもるし…。でも、すごくいい目をしていた。決心が固いなと思いました。一蔵も同じですよ。あの(大柄な)体つきなので、一瞬『やばい』とひるみましたけど…」。弟子の成長が楽しみでもある。「お客さんから(弟子が)『良くなったね』と言われるのが一番うれしい。弟子へのジェラシー? 全然ないです。とにかくうれしいです」。

 一朝は笛の名手でもある。「談志師匠のお弟子さんが笛を習うというので、私も祭りのお囃子を吹きたかったので、紹介してもらいご一緒したんです」。談志一門の弟子は上達せずにすぐやめたが、笛の師匠から「あなたは残りなさい」と引き留められた。「鳳聲克美」の名前で名取にもなり、二ツ目時代には歌舞伎座、新橋演舞場などで歌舞伎の笛を務め「落語家やめませんか」と言われたことも。「歌舞伎で江戸言葉がいっぱい出てくる。こういう言葉はいいなというのを噺の中に取り入れます」。千住で生まれ、大工など職人の言葉を耳にして育った江戸っ子の一朝だが、歌舞伎の名優の台詞回しなどを近くで体感したことも江戸前の芸に生きている。

 今後はどのような噺に取り組んでいくのだろうか。「若い頃に覚えたけれどしっくりこなくて、高座にかけていない噺をまたやってみようと思う」と貪欲だ。師匠・柳朝ゆずりの「『天災』『三方一両損』のような江戸っ子の出てくる噺も大事にしたい」と言う。さらに「火焔太鼓」の名前を挙げた。前座時代に、古今亭志ん朝が柳朝に稽古した際に同席していた。「師匠は乱暴で志ん朝師匠を自宅に呼びつけて稽古してましたね」。「火焔太鼓」は昨年、初めて高座にかけた。

 一朝は3月23日に国立劇場小劇場で「見参!!一朝一門 隼町の会」に出演、一之輔とは初のリレー落語「百年目」を披露する。昭和の名人・三遊亭円生が得意としたネタで一朝は円生の弟子の円弥から教わった。国立劇場は立て替えのため10月で閉館となる。「あそこは地下に泳げるくらいの大浴場があるんですよ。国立演芸場の出番が終わって『今から湯行ってくるよ』なんて言ってね」と笑う。小劇場はTBS落語研究会でもおなじみだ。「前座をやって、二ツ目は笛で毎回入っていた。(新しい国立劇場が)どういう風になるか楽しみだし、修業した場所がなくなる寂しさもある」という。

 師匠が名乗った「柳朝」の名跡は総領弟子に襲名させ、出ばやし「さつまさ」は一之輔が使用している。「私は『林家』を尊敬しているで、少しでも林家に近づこうと…」。出ばやし「菖蒲浴衣」は使用する部分は違うものの先代正蔵と同じ。一朝の名前も二ツ目昇進の際に大師匠から名付けてもらった。三遊一朝は落語中興の祖と言われる三遊亭円朝の弟子で、先代正蔵にとっては稽古を付けてもらった恩人。最後は自身が名乗ろうと決めていた名前だった。「『一朝』をやるよ。私もそんなに長生きできないから」と言われたという。「ウチの師匠が『俺が欲しかった名前だ』というので『柳朝と取り換えましょうか?』って言ったら、怒ったね!」。正蔵、柳朝への尊敬の念を持ち続け、これからも高座で江戸前の芸をきわめていく。(高柳 義人)

(この項「春風亭一朝、師匠の柳朝、大師匠の正蔵から受け継ぐ江戸前の芸・一之輔は「すごくいい目をしていた」

一朝師匠。

イッチョウ懸命頑張ります」がキャッチフレーズ。必ず最初に。

今回の演目は「三方一両損」。

左官の金太郎は、三の金が入った財布を拾い、一緒にあった書付を見て持ち主に返そうとする。財布の持ち主はすぐに大工の吉五郎だとわかるが、江戸っ子である吉五郎はもはや諦めていたものだから金は受け取らないと言い張る。金太郎もまた江戸っ子であり、是が非でも吉五郎に返すと言って聞かない。互いに大金を押し付け合い、けんか沙汰に。

大家が仲を取り持とうとするが、今度は吉五郎が大家に向かって「くそったれおおや」と威勢のいい啖呵を切る。

長屋に戻ってきた金太郎は、大家に一部始終を話すが、両町内でけんか沙汰になっては、と、奉行所に持ち込まれ、名高い大岡越前(大岡忠相が裁くこととなった。

    

           

双方の言い分を聞いた越前は、どちらの言い分にも一理あると認め、その上で、自らの1両を加えて4両とし、2両ずつ金太郎と吉五郎に分け与える裁定を下す。金太郎は3両拾ったのに2両しかもらえず1両損、吉五郎は3両落としたのに2両しか返ってこず1両損、そして大岡越前は裁定のため1両失ったので三方一両損として双方を納得させる。

そして場が収まったところで越前の計らいでお膳が出てくる。普段は食べられないご馳走に舌鼓を打つ二人を見て越前は、いかに空腹だと言っても大食いは身体に悪いと注意する。すると、二人は答えた。

「多かあ(大岡)食わねえ。たった一膳(越前)」。

こぎみのいい江戸落語を視聴させてもらいました。  


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