おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

小渕一里塚。追分。北緯36度線。「九品寺」道標。・・・(「日光道中」をゆく。その14。)

2016-05-24 23:18:16 | 日光道中
「新町橋」を渡ってしばらく先の交差点を左斜めに。
                      

その先、右手に「小渕一里塚跡」碑と「庚申塔」。

 日光から江戸に向かうとすぐ見つかりますが、東京から来ると、見逃してしまいそうな位置にあります。
                         

 前方にY字路。ここは、「日光街道」と「関宿(せきやど)往還との追分。
                         

(10:16)大小二つの道標があります。      

 右の小さな道標は宝永6年(1709)のもので、「右方 せきやど道、左方 あふしう道」と刻まれています。左の大きい道標は宝暦4年(1754)のもので、正面に「青面金剛」左面には「左 日光道」と刻まれています。
                         

 「せきやど道=関宿往還」は「日光東往還」と呼ばれ、水戸街道・小金宿と我孫子宿の間、向小金より北東、かつての小金牧内、現在の柏市豊四季字新木戸(JR常磐線南柏駅付近)で分岐し、関宿、結城といった城下町を経て、日光街道・石橋宿と雀宮宿の間、かつての河内郡茂原新田御料、現在の下野市下古山と河内郡上三川町鞘堂の境付近(JR宇都宮線宇都宮貨物ターミナル駅付近)で日光街道に合流する街道で
 この地点を通っていたわけではなく、この追分が直接「せきやど道」そのものとの分岐ということではなさそうです。

右手には白壁の塀に囲まれたお屋敷。

来た道を振り返って望む。

 そのすぐ先で「国道4号線」に合流し、さらに「国道16号線」と交差します。
                             

                       (10:22)「東京から37㎞」ポスト。

左手奥に「観音院」というかなり古びたお寺。

その先で、春日部市から杉戸町に入ります。

左手には梨畑。

 (10:35)その先の駐車スペース手前には「北緯36度線」の地球儀のモニュメント。
                       

    

年季の入った「解説板」。

 「すきすきすぎーと36」。同じ緯度線上にはチンタオ、ナッシュビル、ラスベガス、グランドキャニオン、テヘラン、杉戸町、ジブラルタル、地中海、カラコルムがあるそうです。

しばらく進んでから、左の道に入ります。
                      分岐点には家庭用?スロット、パチンコ台を並べたお店があります。

しばらく行くと、左手に「九品寺」。

(10:53)境内には「日光街道」の道標があります。

    

日光街道の道しるべ
 この道しるべは、天明4年(1784)堤根村の農民42人が協力して、新川村(春日部市)の石工・星野常久に作らせ、江戸と日光方面を知らせた。また、この向かい側の高野家が、立場を営み、馬で荷物を運ぶ人・駕籠をかつぐ人・旅人・馬などが休む場所となっていたので、この道しるべを多くの人が見ながら旅を続けていたと思われる。
 この石塔は、庚申の夜、人間の身体にあって人を短命にするという、三尸(さんし)を除いて、青面金剛に疫病の予防治療と長生きができるように祈る庚申信仰を表すものであり、道しるべを兼ねたものである。
 なお、見ざる・聞かざる・言わざるは、三尸になぞらえ、眼や耳や口をふさいで悪事を天の神に報告させないという意味がある。

 杉戸町教育委員会

    

 また、道標の左下には几号水準点が刻まれています(○のところ。「不」)。草加宿のはずれの神社で見たものと同じです。
                  

そこから行き先を望む。

真向かいのおうち。ここが立場だった家? 

地酒の「杉戸宿」を売っているお店。

左手にある立派なお屋敷。

 その先の「堤根(南)」交差点で「国道4号線」に合流します。
来た道を振り返って望む。

                        (11:08)「東京から40㎞」ポスト。

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