おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「バラの家」。三本木一里塚。杉戸宿。・・・(「日光道中」をゆく。その15。)

2016-05-25 21:47:05 | 日光道中

向かい側のにコンビニの看板に「めだか」。販売しているようです。


(11:10)左側にちょうど満開を迎えたバラ園。

色とりどりのバラの花と香りに誘われて少し寄り道。店内はお客さんで賑わっています。たくさんの種類の苗木の販売を行っています。今回は鑑賞するだけですが。

    

    

 しばし堪能し、街道歩きを再開。「堤根」交差点のY字路で左の道に入ります。
    

 しばらく進むと、右手のおうちの生け垣に隠れるように「三本木一里塚」の解説板があります。つい見逃してしまいそう。
                           三本木一里塚 

 ここの日光街道一里塚は、江戸に向かって左側が堤根村地内、右側が清地村内で、大きさが縦・横ともに約9m、塚の上に榎が植えられていた。しかし、明治時代半ば以降には、交通の発達などによって取り払われてしまった。なお、江戸に向かって次の一里塚は、小渕村(春日部市)に、日光に向かっては、茨島村(杉戸町)にあって、いずれも榎が植えられていた。
 こうした一里塚ができるまでには、まず慶長5年(1600)徳川家康が江戸を中心に、東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道を整えた。その後、慶長9年(1604)主な街道に、道のりを表す目印として、日本橋から一里(約4km)ごとに塚を築いて旅行者の目安とした。

     杉戸町教育委員会

いよいよ「杉戸宿」の中心部へ。

杉戸宿
 現在の埼玉県北葛飾郡杉戸町中心部に相当する。日光街道の江戸・日本橋から数えて5番目の宿場。
 古くから利根川(現・古利根川)の渡し場があり、日本武尊が東征を行った際にこの付近に上陸し、そこが杉の木が茂る港(水門)であったことから杉門と名付けられたとする伝説がある。
 宿場自体は五街道の整備に伴い、1616年(元和2年)に近郊の郷村を集めて成立した。宿場は街道に沿って町並みを構成し、5と10のつく日には六斎市が開かれ、近郷商圏の中心地となっていた。町中は新町・下町・中町・上宿に分かれ、それぞれに名主や問屋が置かれ、本陣・脇本陣はいずれも中町に置かれていた。
 天保14年(1843年)の『日光道中宿村大概帳』によれば、杉戸宿の距離1里21町、町並8町20間、道幅5間、人数1663人(男789人、女874人)、家数365人、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠46軒(大4・中7)、問屋場1軒、宿建人馬25人25疋であった。
 現在の町並みは、都市化の影響をさほど受けていないためか旧家も比較的よく残り、旧宿場街の面影を感じさせる。(以上、「Wikipedia」より)

 右手にお茶の老舗「いとや」さん。どっしりとした店構えです。
    

(11:34)「杉戸町役場」の先には「関口酒造」。

     

豊嶋屋/関口式右衛門邸
 街道沿い、まさに江戸期を思わせるたたずまいの大きな古民家が豊嶋屋です。現在は屋号を関口酒造としています。
 創業1822(文政5)年とされ、現在で14代目。長きに渡り地域に愛されてきました。造り酒屋では現当主曰く、6代とも8代とも伝えられ、江戸期からの老舗です。
 代々の家系史によると、祖先は今川義元の養女になり、家康の正室にもなった築山御前がおられるとのこと。一族は桶狭間の戦いのあと、現在の町東端鷲巣に移り住んだそうです。
 初代がこの地で創業を選んだのは古利根の恵みと村名清地を「清き地」と捉えたことが考えられるそうです。明治時代、陛下の巡幸では、当家の井戸を御前水として飲まれました。
 日本酒の銘柄は、古くから「豊泉」を主力とし、現在は杉戸にちなむものも揃えています。宿場絵ラベルの「杉戸宿」をはじめ「清地村」「日光街道すぎと七福神」といった逸品です。

   

その先には酒屋の「伏見屋」。

 その先、JA農協の前には遊歩道ができています。かつての用水路跡のようです。
     

南側用水路の由来
 南側用水路は、江戸時代初期の万治3年(1660年)、利根川筋・本川俣村に葛西用水の取水口が作られた際に、その支流として当時の幸手領南側一帯(幸手市から杉戸町を経て春日部市まで)に農業用水を供給するために設けられました。
 杉戸町を9.5kmに渡り流れる南用水路は、大切な農業用水路としての役割を果たすとともに、清らかな水に魚が泳ぎ、沿線の人々の生活に深く係わりながら、身近な水辺として親しまれてきました。
 しかしながら、農業用水のパイプライン化により、昭和63年3月に300年あまりに渡る用水路としての役割を終えました。
 南側用水路の跡地は杉戸町の貴重な都市空間であり、町民共通の財産でもあります。
 この遊歩道は、貴重な南側用水路の跡地を町民の皆さんにより親しんで頂けるように、遊歩道として整備したものです。

   平成6年7月

近津神社。

近津神社
 近津神社は清地村の鎮守です。2001(平成13)年に火災被害を受けましたが、2007(平成19)年の再建時に鎮守の杜も整備され、清々しい境内となっています。
・・・
 石祠や石碑といった石造物に至っては枚挙にいとまがありません。その中の一つに花塚という碑があります。杉戸宿では俳諧が流行していました。それを表すよう碑面には往時のものと思われる作品が刻まれています。

 横断歩道の先には解説碑。杉戸宿ではこの石柱が案内してくれます。近づくと、「2016 日光街道 杉戸宿 宿 400th」という文字。
         

慎ましく営業している? 「銭湯」。

「本陣跡地前」交差点。

(11:48)三井住友信託銀行のところに「明治天皇御小休所跡」碑。

 そろそろおなかも空いてきたので、ここを左折して「東武動物公園」駅に向かいました。

途中にあった案内板。  

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