おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

オスカーピーターソン

2007-12-27 11:45:44 | つぶやき
 オスカー・ピーターソンが亡くなりました。その死は、日本のマスコミでもあまり取り上げられませんでした。たぶん「朝日」でも記事にならなかったような。何だか寂しい気がします。
 一世を風靡したジャズ・ピアニスト。レコードを聴き、それをテープにコピーして、車の中でもよく聴いていました。そして、日本のジャズマンのライブを聴きに行ったものです。
 私に、モダン・ジャズという、すてきな世界を教えてくれた、偉大なミュージシャンでした。かつて、日本に来たとき、聴きに行きました。その時の文章を再掲します。

 来日最終公演を聴きに行った。この人のジャズは、70年代ごろよく耳にしていた。
 まだCDのない時代、LPレコードを借りてきたり、買ったりして、それをテープにダビングしたりもした。また、当時、モダンジャズと称していたジャズをライブで聴いたりもした。新宿や銀座で。
 そのころ、オスカーピーターソンは、アメリカやヨーロッパのジャズとも違った雰囲気のピアノを弾いていた。たぶん、間違いでなければ、ハミングするような声がバックに聞こえてくる中で、軽やかに演奏していたように覚えている。黒人でありながらというと変だが、黒人音楽特有の粘っこさや泥臭さ、激しさがいい意味でなくて、小生の好きなタイプのジャズ演奏であった。
 そのジャズが生で聴けるという期待で出かけた。ご本人は、病的なほど異常に太っていて歩くのも困難なようだったのには、聞いてはいたものの愕然とした。
 しかし、ひとたびピアノに向かうや、かつて耳にしていたサウンドが飛び込んできた。最初のうちこそ、ピアノの鍵盤も高音部を含め、音域が少し狭く感じたが、だんだんとその音域も広がり、ラスト近くには、往年の、かつて耳にしていた音楽が奏でられた。
 もう来日は無理かもしれない、最近有名な、一世を風靡したジャズマンが次々と亡くなっていく中で、そのレクイエムともいうべき音楽がそこにはあった。リズミカルでサウンドと叙情的な音楽が見事にマッチしていて、久々に感動した。
 東京フォーラムAというだだっ広い会場が適しているとは思えないが、興行的にはそれも仕方がないかもしれない。例えば、もっと小さな会場で接したらもっと感動は大きかったであろう。
 また、舞台の照明が後追い照明の典型で、演奏が始まったあとにその演奏者を明かりが追ったり、途中から無意味な照明効果を狙ったりで、その点の工夫がなかったのが大変惜しく、せっかくの演奏の足を引っ張った感がした。
 この健康状態では再来日は厳しいようだ。そのラストチャンスに恵まれたような感じがした。
(2004/10/12 記)

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